ふと、頭に降りてきた言葉です。
自分を愛する為に、「自己否定をしない」こと。
これが、すんなり自然にできない人には、逆に呪縛になることがあります。
できる人はいいのですが、長年染みついてきた、この癖も、
機能不全家族の中で、生き延びるために無数にやってきたので、
すぐにはできなかったりします。(ある意味、できなくて当たり前)
ACの人は優しくて、真面目で、素直で、聡明な人が多い印象を受けます。
実はこれが、事態をより深刻にすることにも繋がったりします。
回復とは、今までと真逆なことをやっていくので、とても大変です。
・自己否定→自己肯定
・自分を罰する、卑下する→自分を褒める、認める、受け入れる
・感覚麻痺→自分の感覚に気づき、取り戻す
・自己喪失→自己を取り戻し、確立させる
・我慢する→嫌だと感じたら、適切に「拒否」を言葉に出して主張する
・無境界又は、人との境界が弱い→適切な境界線を知り、引き直し、定着させる
・100を目指す→1できただけでも、小さな進歩だと喜べる
・完璧主義、全か無か思考→曖昧さ、グレーゾーンに慣れる
・被害者意識→当事者意識
・上下関係→横、対等なつながり
・幼児的万能感(100を求める)→アダルトへの成長
(精神的幼児の欲求や満足を自分が理想の親になって労わり、未発達だった心を成長させ、過度な期待、要求、甘えを克服する。
↓
他者への適切な甘え、程度をわきまえ、希望という形で明確に言葉にして伝えることができて、その結果がどうであれ、自分の選択した結果を受け入れ、そのことに責任を持てる、横のつながりの構築。
高くなったままの満足度、幸せのハードルを心の成長を遂げることで、適切なラインまで自然と下がり、幸福度が上がっていく。)
「自己否定をやめなくちゃ」と思うと、自己肯定できない自分をさらに否定してしまいます。
ダブルで否定し、さらに自分を苦しめます。そう思う人は、また、自己否定したとしても、「癖が出ちゃったな」と気づくところで止めて、自分を認め、許すことの方が大事です。
私がまた、やらかしたことは、ACを克服しようと、一生懸命、知識を入れるのはいいのですが、「投影」の法則を知って、逆に落ち込むことが増えたんですよね。
「こんな出来事が起こるのはなぜ?」「私の何が、この出来事、人を引き寄せた?」と、さらに自分責めしてました。
なので、振り返ることには適度に利用はしますが、辛くなる時は、「自分のご機嫌度の目安かな?」とか、「誰にでも、たまにはこういうことが起きるんだ。自分だけに特別起きるわけではない。」と、受け流せるように、必要以上に囚われないようにすることの方が、私には、心の安定の為に、大切です。
スルーするが、なかなかできないんですけどね…。
勉強を頑張った身として、私は、知識や理論で腑に落ちるタイプなので、学びは大切なんですが、「これをしなきゃ」と何が何でも、自分なりに吟味せずにやり通そうとする癖(感覚を閉じて、従うことが得意なので)も出ますので、注意が必要です。
自分の気持ちを聞いて、かみ砕いて取捨選択するということが苦手なんですよね。自分の気持ちや感情をすっ飛ばして、絶対にやろうとしがちです(強迫観念が出ます)
自分が、そうしようとする時に、自分の心にきいて、どんな感じがするか?本当にやりたいことか?また、やってみて楽になったり、心が軽くなったり、すっきりした感じがするか、の方に焦点を当てて、進むようにしています。
AC回復の手順や、やり方はいろいろあると思いますが、ある人には有効でも、他のある人には、逆に合わなくて、悪化することもあるので、これで絶対効果がある、と過度な期待を寄せずに、自分に合うもの、自分の感じ方に改善がみられるものを、自分で選び取っていくようにした方が大事かなと感じています。
また、私はスピリチュアルは元々好きですが、実体験を通して、適度に距離を置くようになりました。
「これをやれば、数か月で人生が激変する」という類の宣伝があったりしますが、心を変えていくことは、そんなに瞬時にできることではないです。
(幼少期の、真っ新な心に、無意識下に、過酷に蓄積されている洗脳や支配による、認知の歪みは、気づくことすら最初は難しいです。これは、毒親育ちから克服をした経験者にしか、真には分かり得ない苦労です。
親と物理的に離れたら、瞬時に幸せになるのではなく、そこからが、新たな試練の始まりで、自分と向き合っていくことの方が、何十倍も辛いです。だからこそ、不健全と薄々わかっていたとしても、現状維持に甘んじる人達も大勢います。)
ただ、ACの人は思い込みが強いので、盲信しがちですので、一時的には効果が出たように感じることはあります。
それ以降、以前、苦しんでいたことと永久にさよならできたのであれば、その人にとっては、良かった選択だったのでしょうが、エネルギーワークをするのも、その人の技量や経験も大きく作用します。その辺のところは、会って実際に受けてみない事には、全くわかりません。
損しても、効果がなくても、それでもいい、と思える人は、気になるならやってみればいい。私は、自分を喜ばせることに使った方が良かったと感じました。
(果てしなく長い道のりのように感じますが、カウンセリングは、私にはある程度までは、有効でした。
生身の人に、対面でしっかり自分を受け止めてもらう、という体験は、生き直しと抑圧した感情の癒しや昇華に繋がります。
しかし、カウンセリングを受けていようがいまいが、結局、回復していくのは自分自身なので、自分でしっかり取り組む覚悟、自分が自分を幸せにすると固くコミットしていく姿勢が必ず必要。カウンセリングを受けてるからといつの間にか甘んじて、私は、依存心がまた再発しました。
…というより、また自ら共依存関係へと堕ちていった、もしくは、ずっと依存したままで、成長したと認識したことさえ、錯覚だったとさえ感じます。恥ずかしい話ですが…。)
今後は、以前から興味があり、本も持っていたもの
・マインドフルネス(10年以上前から、実は興味だけはあった)
・セルフコンパッション
・複雑性PTSDの理解と回復
・認知行動療法
・スキーマ療法
・自分の身体と向き合う
(リラックス、身体を緩める運動、ヨガや散歩などの習慣化など)
書き込み式の、ワークブックを持っていたり、新たに買い揃えたので、それを自分一人でやっていきます。
また、以前、アスクヒューマンケアの「私を生きる」スキルⅠ、Ⅱ、Ⅲ、全シリーズの通信講座を受けたのですが、とても良かったのに、一回やって放置してましたが、今の私にこそ必要だと、改めて再確認したので、復習し直しています。私の生活、人生に根付くまで、根気強くやっていく覚悟を決めました。)
PTSDのことは、ぼんやりとは知ってはいたのですが、愛着障害について、もっと踏み込んだ理解が必要だと思ったこと、そして複雑性PTSDの本に、直感でとても惹かれたので、買ってみたのです。
複雑性PTSDは、主に身体的虐待、暴力を受けた人が多いようですが、私のように、見た目は仲が良く、理想的な家族のようにみえても、内情は、重度で深刻な母娘共依存の形態は、情緒的ネグレクト、又は、情緒的、心理的虐待に当たる事例です。
私の抱えてきた症状は、身体的虐待などで長年にわたって受けた、複雑に絡み合ったトラウマが重なり合って、それが人格形成や、人生全般に大きな影響を及ぼしていて、その本を読み進めるほど、トラウマを抱えた人に現れる症状がいくつも重なります。
ACの回復について、「楽に簡単に回復していけるよ」と書いている人は、私は疑問を感じます。
何十年と、半世紀近くも、毒に浸って強化してきたものを、まして、無意識下に蓄積、パターン化して自分と一体化しているものを、かけている眼鏡を変えるように、一瞬でできれば、誰も苦しまずに、瞬時に変わっているはず。
やはり時間がかかるし、自分の心が環境によって、修復が難しいほど、歪んでしまっていることを事実として、受け入れることも簡単ではありません。そして、困難な人生を歩んできたことを、戻していく作業も、かなりの長く険しい道のりだと、私は改めて痛感しています。
自分のアダルト視点で見た時の、イタイ自分をも受け入れると共に、それでも、心はまだ、チャイルドのままの、幼児的万能感を感じていて、依存心や甘えが出てしまうこと、それを自分で満たしていくことの大切さを実感します。
受け入れたくない時は、それでもいいと私は思います。その人にとって、受け入れずに蓋をしておきたい時間が必要、対峙する覚悟を決めるまでの時間が必要なのです。
今この瞬間に真っ先にやることは、もう、これ以上、自分自身を精神的に虐待しないで、自分がそのまま感じたことを、
「そう思うんだよね。傷ついちゃうよね。スルーできなくても、それでいいんだよ」と、自分を丸ごと抱きしめることが、一番、大切ではないかと思うのです。
「今まで、誰にも言えずに、1人で長い間、頑張ったんだもん。あなたは、素晴らしいよ」と私は自分を褒めてあげたい。
人生を諦めているわけでもない。誰よりも何十倍も頑張っている。上手くできない事は、把握している。それでも、今はまだ、そうできないだけ。練習がたくさん必要なんです。
私は、回復しようと決めて、この7年間、頑張ってきたけれど、回復もしてきたと思うけれど、7年前と何一つ変わらないままだった、根強い依存心や甘えに、打ちのめされました。
健全な信頼ではなく、盲信していただけだったとしても、心を開いた人が去っていくという出来事は、過去の見捨てられ不安を呼び起こし、心が再び、疼き、フリーズしてしまう再体験です。
起こる現実はその時の最高最善で、その出来事に対して、なるべくしてなった、と受け入れても、相当辛かったけれど、これは、神様からの愛のムチだったと悟りました。
「あなた、もう自分で変わっていけるはずよ。自分の人生の主導権をしっかり握りなさい。あなたは十分素晴らしい。だから、古い価値観も、親からコピーしてしまった思い込みや制限、思考癖も、全部、丸ごと脱ぎ捨てて、本来のあなたに戻って、人生を楽しみなさい。」そう言われているのだと、悟りました。
自分を諦めずに寄り添って生きていく。自己卑下だけは、もうこれ以上できない。
これからがまた、再出発です。ACって大変。もし、あなたもそうならば、密かに葛藤し、悩み、苦しみながら、人生を良くしようとしている人達が、この地球上にはきっと、たくさんいますよ。
今、人生を諦めずに生きていることが素晴らしいのです。前を向いて、赤ちゃんの歩みでも、少しずつ歩いていきましょう。
もちろん、歩けない時は、立ち止まって充分、休んでもいい。どんな自分でも良いのです。他人から、烙印を押されようが。
完全なる回復をしていきたいけれど、昨日より、心が楽に幸福になれる私であれば、それで良しとします。
落ち込む日があってもいい。また以前の癖が出てもいい。完璧ではない、どんな自分をも、自分が優しく、糖蜜に包む様に、親からしてほしかったように、優しく労わる。この姿勢が習慣づくだけでも、大きな大きな進歩だと思うのです。
どんな段階にある人も、生きている価値がある、と私は思います。