絶望感を感じています。でも夫がいる。これが、独身時代の私とは違うところ。
小さい時から、社会人時代まで、数えきれないほど、「人が自分から離れていく」という現象を経験してきました。
幼馴染と離れることになった、親が建てた一軒家では、友達に恵まれず、私だけ仲間外れにされたり、庭に植えてあるみかんを、勝手に取っていくような、意地悪な友達ばかりでした。私の家に遊びに来ても、私と遊ぶことが目的ではなく、大きな新しい一軒家に興味があっただけで、寄ってきた同級生でした。
私の暗い経験はここから加速していきました。幼馴染の子と遊んでいた時だけが、幸せだった。今思えば、共依存的な接し方だったと思います。その子に頼っていました。
意地悪な子が、私の色鉛筆を盗んでしまい、その子は知恵を絞って、意地悪な女の子の親が同席している場面で、「返して!」と言い、返さざるを得ない状況に追い込み、取り返してくれました。
その子が今、どうしているかは、わかりません。年賀状をもらっていたけれど、私は、ある時から、年賀状を出すことを辞めました。
なんだか、年賀状だけで繋がっているのが、とても虚しく感じて…。仲が良ければ、年賀状のやり取りなどしなくても、連絡を取り合い、会ったりしているはずだから。形式的な習慣だけで送られてくる(本心はわかりませんが…)のが、一層辛くてやめてしまいました。
元々、会う時は、私から誘う時だけで、彼女から誘われることは一度もありませんでした。
彼女の結婚式の時、友人代表のスピーチも違う人だったので、彼女にとって、私は、そんなに大切な友人ではないのかも、独りよがりなだけだったかも…と思うようになりました。私から連絡しなくなったので、案の定、それっきりになりました。
独身時代に働いた職場でも辛い経験の連続でした。中でも一番堪えたのは、うつで休職し、復職してから、周りの態度が激変したことでした。
「ここにはいられない」そう感じました。退職願を出し、最後の挨拶周りの時が、一層辛かった…。
かつて一緒にお酒を飲んだ先輩も、たくさんいろんな話をした人達も、皆が背を向け、無視に近い状態でした。
かつての上司も、「今、掃除してるんだけど?」と、最後の挨拶の言葉を聞くのも嫌がったことを今でも覚えています。
休職する時に、「そんなに仕事仲間が嫌なら、異動願いを出せば良かったのに」と一蹴した上司でした。働かずにサボりがちの後輩の事は見て見ぬふり…。本当にブラック企業でした。共に過ごした同期達も、形式的な表面的な言葉だけでした。
長くお世話になった職場が、こんなにも冷たい場所だったなんて…、すごくショックでした。一緒にいるべき人達ではなかったといえば、それまでですが、特に最後が一番辛かった…。
母と共依存だと知り、カウンセリングを受けました。数年、大変お世話になりました。お陰様で、フラッシュバックしたり、パニックになったりすることがなくなるまでには、なれました。
しかし、依存的な人との関わりは、変えることができず、境界線を超えて、甘えが出てしまい、自分の人生を楽しくする術もわからず、焦燥感や、日々の充足感のなさから、結局は、愚痴ばかりを言って、現状を変えない母と同じことをしてしまいました。
時々、朝散歩に出かけていた時もあったけれど、いつしか気持ちがふさぎ込み、更年期なのか、よくわかりませんが、人と関わらなければ、つらくはないけれど、かと言って、楽しくもない状態に陥りました。
どうにかして彩りある人生に変えたくても、マンネリ化した日常を変えられず、何かを習ってみたりしても、元来の、人との関わり方に難のある癖は根強く、気が付けば、毒親育ちだけど、私も親のようになっている…という状態に失望しました。
上手く行かない根本的な原因を、母のせいにして、自分のみじめさやふがいなさから、目をそらしていたのです。
親のせいにしても仕方ない。そう思っていても、怒りの問題はひどくなり、自分がこの世にいる意味もわかりません。時々、消えてしまいたくなります。
アダルトチルドレンから回復すると決めたけれど、いまだに、根本的なことは何も変わっていなかった。親と同じ自分…。
毎日を楽しく生きている人達がとても羨ましかった。私にだって底力があるんだと思っていたけれど、それは過信だった…。
自分を変えることは生半可なことではないと、悟りました。そんな折、とあるカウンセラーさんの動画を見ました。
自分を変えようとする時に、心の中にいる、いろんなチャイルド達が手強く抵抗する、と…。
自分が自分でいられずに、何かの感情に乗っ取られたように感じる時が多々あります…。何かの言葉だったり出来事で。そんな自分がとても怖くなる。本当の自分はどこにあるのか、わからなくなる。
そして気が付けば、人を傷つけている。だからこそ、私はひとりでいなければいけない、と誓いました。
夫は、記録をして、自分のパターンを知り、少しずつ、現実に対応できるように工夫していこう、と励ましてくれました。
そして、無心になれるものを何か見つけて、楽しい時間を過ごそう、と。
光はどこかにきっとある。どんな親に育てられても、回復していける。幸せになっていける。夫と過ごしている時間は幸せだから、その点は叶っていますね。
だけど、人間関係は壊滅的な状況です。それでも、それを受け入れるしかない。自分の機嫌を上手くとることができなくて、不機嫌な自分が嫌い。自分で自分を満たすことができない自分が嫌い。自分に対する不信が、人にも影響します。
そんな状態でも、信頼できる夫とだけは、生活を共にできていることは奇跡です。
私も本当は、「毒親」という表現は好きではありません。なんだか、全ての原因を親に押し付けているような気がして…。未熟な親に育てられた、という事実だけで、自分も一生、未熟な親と同じような人生を送りたくはない。
母と依存関係に長くあったことは事実です。しかし、よく考えてみれば、母と一緒になって、その依存の沼を築いたのは私です。それが、生存戦略の為に、仕方なくやったことだったとしても…。(父に助けてほしかった…)
依存させる方にも、大いに問題があり、依存関係でいたことで感じていたメリットもあったから、長く続けていたのです。
そんな私が、心身共に自立した、真の大人になれるのか?
自信はありませんが、毎日をささやかに、昨日よりも楽しく生きていけるように、小さな小さな工夫をしてみようと思います。
そして、どんな自分も愛おしく抱きしめ、肯定できる自分でいられるように。