どんなに自分の心を癒そうとしても、人との関わり方のベースが、「依存」だから、
無意識に無数に繰り返した、誤った人間関係構築法は、根強い。
だから、人と関わらないようにすること。
そして、どんなにイタイ自分でも、罰したりせずに、優しく寄り添うこと。
「受け入れる。」これが、なかなかできない。
他人軸に基づく自己修正法は、心の髄まで染みついている。
だから、自分の良くない点、いわゆる欠点や弱点は、すぐ気が付く。
もっともっと、認められるために、
どんどん無限界に、高みを目指して生きてきたから、
できない自分、情けない自分、同じ間違いをやらかしてしまう自分、
を受け入れることが苦手だ。
アダルトチルドレンからの回復時には、至る所に
嫌というほど、歪んでしまった自分を発見する。
無意識の習慣は、繰り返した期間と共に、強く強固になっているから、
意識する頭で、気をつけていても、簡単に元に戻ってしまう。
つらいけれど、そういう私(これも、自己否定か…)からは、
離れてもらった方がいい。
つらいけれど、関係を切ってくれた方がいい、その方が、安心する。
人に迷惑かけるつもりは微塵もないのだけれど、
私の習慣が人の境界線を崩してしまうなら、
関係が壊れるのは、当たり前の事。
怒りが爆発する前に、適切に、冷静に、自分の意見や要望を言えたらいいけれど、
頂点を目指して頑張り続けた心は、
他者にも、無意識に、高いレベルを求めてしまうのだろう。
けれど、身体が痛かったりなど、
自分が苦痛と感じていることを、我慢したままでも、苦しくて仕方ない。
もう黙ったままでいたくない。
充分、自分の気持ちを飲み込んで、踏み倒してなかったことにしてきたから。
それだけは、もうこれ以上したくない。ただ、それだけ。
それが、受け取り手に取って、無理難題に感じたとしても、
受け入れる、受け入れないは別として、言わずにはいられない。
結果、何かを他者から、教えてもらったりとか、そういうことは、できないのだ。
自分で、気が済むまで、調べたり、学んだりする、というスタイルしかできない。
今回の出来事ではっきりと悟ったから、何かを求めることをやめるだけ。
人に迷惑かけることが一番嫌だし、恐れていることだし、直したいけれど、
その辺の、匙加減が、通常レベルの人とは、かなりバグっているから、
人とは仲良くできない。
世界でたった一人、世界中の人に嫌われても、
自分が幸せでいられたら、私のゴールなのかもしれない。
母が私に人生で教えたことを、本当に、改めて恨めしく思う。
母もそうすることしか、できなかったのだと、事情はわかっていても、
やっぱり、それは毒で、
そして、そんな私も、他者に毒をまき散らす、ダメ人間になっている…。
今できる解決法はひとつ、夫以外の他者とは関わらない事。これに尽きる。
誰も私のことを知らない街で暮らしたい。
いっそ外国で暮らしたら、幸せなのかもと、最近思う。
せめて、実家から遠く離れた場所へと行くことができたら…
誰とも深くかかわらず、その時限りの関係ならば、いいのかもしれない。
私に今世、子がいなかったことは幸いだ。
子がいたら、渡したくなくても、毒を渡していただろうから。
毒を渡さないようにと、頑張っているお母さん、お父さんがいたら、
心からエールを送りたい。
気づけているだけでも、充分、素晴らしいと、私は感じる。
私は恐怖心がすごくて、子を産む選択などできなかったけれど、
できなくてよかったと、恐怖心が、私を守ってくれたと、
最近、そう感じるようになった。
世代間連鎖を食い止めたことだけは良かったね。
根強い後遺症には苦しんでいるけれども…。