過酷な環境下でサバイバルで生きてきた私は、言うまでもなく、家族以外の周りの大人達にも恵まれていませんでした。
親戚の中で、なぜか私だけが揶揄され、皆の前で恥をかかされるなど、今思えば、なんでそんなことされなきゃならなかったのか、理解不明です。年下の従妹にいじめられる、近所の友達から意地悪されるなど、なにかと理不尽といつも隣合わせでした。
(悪さをした本人は全く覚えてもおらず、のほほんと生きていますが、意地悪され涙を流した方は、決して忘れません。)
そんな人生の中でも、好きだった先生、素晴らしい体験をくれた先生との出会いが、数少ないですが、ありました。
信頼できる大人がほとんどいない環境の中で、その先生との触れ合いは、今でも鮮明に脳内の記憶の欠片として、光り輝いています。
無条件に愛のこもったエネルギーのやり取りができた相手は、一生忘れません。一時的であったとしても、信頼できる人もいるのだという体験は、生きる希望を少なからず与えてくれます。
小中高通して、担任の先生に恵まれたのは、過去二回です(高校生の時の恩師の話は、過去記事「夕暮れの職員室」に記載)
小学校に上がって最初の担任の先生は、私にとっては苦いものでした。女性でしたが、清潔感がなく、えこひいきもひどく、私は理不尽なことで、頭に拳骨をもらったり…。今でも、あの時の痛さは忘れません。手加減せずに、日頃のストレスを発散していたのでは?と思えるほど。
当時は、えこひいきでもなんでもありな時代だったので、ひたすら耐えていましたが、今だったら、反論するでしょうし、世間でも問題になるかもしれませんね。親にも言っていないので、親も当然知りません。
さて、話を戻しますが、私は牛乳が飲めませんでした。給食で必ず出るので、避けられません。でもお友達がこっそり私の分まで飲んでくれていたのです(今思えば、本当に悪いことしたなと思います…)
しかし、ある日そのことがばれました。きっかけは、そのお友達のお母さんが、私の母に言ったからでしたが、発覚する以前から、担任の先生は、何かがおかしい、不自然だと思っていたようです。
小学校初の、大嫌いだった女性の担任の先生は、幸い、産休に入っていました。
その後に来たのが、非常勤の若い男性の先生で、生徒皆の事を、下の名前で呼び(親近感を込めての事です)、外に出て、川で遊んだり、学校の近くを散歩したり、とても楽しかったことを覚えています。
愛が在る先生って本当に温かいんだなと知った経験でした。
そんな愛情深い先生が、私の牛乳の件を知って、どうしたかというと…
咎めるでもなく、一言「明日からコップを持っておいで」と言いました。そして、次の日から、牛乳を飲む特訓が始まったのです。最初は、コップにほんの僅かな量からスタート。毎日少しずつ、量が増え、一本飲み干せるまで続きました。
飲み干した時には、クラスみんなから拍手をしてもらいました。
結果的に飲めるようにはなったものの、好きになったわけではなく、実は、息を止めて飲んでいただけでしたが(味と匂いが苦手。特に温かい牛乳)それでも、苦手なことでも少しずつ挑戦していけば、克服できることを教えてくれたのは、とても嬉しかった。
その先生は、教師の正職員の試験は受からず、非常勤で働いた後、塾の先生をしていましたが、愛が在る人格者だったので、生徒から慕われ、繁盛していました。
クラスで少し知能に障害がある子がいたのですが、その子のいじめが休み時間に一時期あったことも。けれど、しばらく続いたある日、見かねたクラスのうちの誰かが、先生を呼びに行きました。
血相を変えて飛んできた先生は、一目散にいじめっ子二人の所に行き、ほっぺたをたたいて叱りました。それから、そのいじめはぴったりとなくなりました。
今はそんな先生が、一体どれほどいるのだろうかと思います。
愛を教えてくれる人、間違った時には、しっかりと叱り、良きことは褒め、子どもの個性や楽しさを教えてくれる先生。そんな人ばかりだったら、今の不登校やいじめも、少しは変わるような気がします(今は人間性、人柄だけでなく、教育システムや家庭内の事情などが複雑に絡み合い、陰湿、深刻化し、あらゆるところに問題が山積していますが…)
今はどうしていらっしゃるかはわかりませんが、先生と出会い、一緒に過ごした数か月は何にも代えがたい貴重な思い出です。唯一、その期間だけは、学校が好きだと感じたからです。