親始め、周りの人達から愛されなかったから、精神が幼児のまま、大人になった。
精神は幼児なのに、大人のふりをして、機能不全家族の中で不毛な役割を持った。周りのせいではなく、全部自分のせいだと思い込んで、歯を食いしばって、ゴールのないレースを全力疾走し続けた。
洗脳から解けた今、これまでの人生は、自分のせいではなく、周りが異常なだけだった。自分を苦しめる、様々な心の鎧、変形した思い込みや認知、制限、足枷は、異常な環境を生き抜く為には、大いに役立った。
それが今、人生の主導権を取り戻す為、本当の自分自身に還る為には、ずっと無意識に強化し続けたものを、ひとつひとつ検証して、緩めて、取り替えて、新しい信念を潜在意識に再構成、定着させる作業は、目に見えないものゆえ時に難しく感じる。
今までとは真逆なことを、自分に新しく根付かせるというのだから。
今まで強化してきたものを手放して、心を育て直す。自分自身が理想的な親になって、精神的幼児な心を冷静に客観的に見つめ、育て直す。健全に育って当たり前に、健全を身に着けてきた人には、この苦労は到底分かり得ない。
ーもう、誰にもわかってもらわなくていいー
誰かにわかってもらうことは、ただ乾いた心に、水が欲しいと切望しているだけ。これは依存であり、他者や周りの現象に、自分の価値も心も委ねる危険な癖。
私の母のように、ずっと誰かから、親から与えられなかった愛情を探し求め、渇望し、貪り続ける。終わりのない、不安定な、死んだ生き方。無意識の渇望を埋める何かを欲するだけのゾンビ。エネルギーバンパイヤともいう。
気を付けていないと、自分も無意識に、他者からの承認を得ようと躍起になってしまう癖が登場する。
それは、ひとえに、まだ自分に対する愛情、肯定、労わり、慰め、心のケア、心の満たし方が、圧倒的にまだ足りないことを知らせていることに気づいた。
宝くじに当たった直後の人が、電車内で足を踏まれたとしたら、その人はどうすると思いますか?
宝くじに当たったという事実に心が高揚し、満たされていて、足を踏まれた、という事実には、あまり心を乱されないかもしれない。
でも心の中にたくさんの悲しみが発端となった怒りが、埋め尽くされていたとしたら、そして歪んだ解釈、認知のままだったら、瞬時に爆発してしまう。
キレる大人、お年寄りが増えているのは、潜在的な怒りが蓄積した人達が、それほど多いということ。
不遇な環境は洗脳中、養育者がいないと生きていけない状況だったら、親も簡単に取り換えることはできない(子が隠れられるシェルターのような組織、機関が必要)
それでも、そんな中で、自分が自分を蔑ろにしている、という事実には気づいてほしい。
自分が自分の一番の理解者になる。無条件の味方になる。自分の思いや気持ち、感情を大切にする。減った心の容量を自分で愛を注いで、繰り返し満たし直す。罰したりしないで、感じることを許してほしい。
そう感じる感覚に、良いもダメもないのだから。それをそのまま受け止める。
それがもし、昔の私ができていたら、自分を鞭打って罰して、何十倍、何百倍も、苦しまなくて済んだように、今思う。
(自我の確立に失敗しているので、ここの立て直し。境界線の健全なラインの引き方の学びも必要。感情との付き合い方を習得することも大事)
当時は感覚を麻痺させていたので、それさえもあまり感じなかったから、仕方ないけれど、異常な環境を離れても、そのままでは、心にその癖は残ったまま。インナーマザーの声も聞こえる。異常な環境を離れただけでは、幸せな感度を取り戻せない。
少しずつ、少しずつ、健全な方にかじ取りする。時には気の遠くなるような作業だけれど、自分を救うために、諦めない。呼吸できるように、無意識に楽に生きていけるようになるまで、毎日を丁寧に生きる。
私の精神的な成長は今どれくらいだろうか。小学校高学年くらいかもしれない。それでもいい。確実に日々成長しているのだから。