エンパスの私にとって、ひとりの時間はとても大切です。

 

 ひとりだけの空間の中にいて、いろいろな人の思いや、空気に翻弄されない時間がとても必要です。何もジャッジせず、ただ自分であることに還る時間がないと、私を維持できなくなります。

 

 夫以外の誰かと接している時、無意識に、タイトルの「人から認めてもらいたい、好かれたい欲求」が発動していることが多いです。何度も言いますが、無意識の欲求です。

 

 親切にしてくれる人がいても、良いことを素直に受け取ることも、引け目を感じる時があります。

 

 それって、どういう時か、自分なりに分析してみると、人を怖れている時、又は、この人は、内心、私のことが嫌いなんじゃないか、迷惑なんじゃないか、そう感じている時なんです。

 

 それは、コントロールだなと感じました。「相手に好かれることによって、自分の心を安心させたい」という心理が働いているのですね。嫌われてしまったら、自分の存在価値を否定されているような気がしていたんです。

 

 ー他人が自分をどう思うか=自分の存在価値、と結びついているー

 

 他人が自分を好きになろうが、嫌おうが、それは、その人の問題です。だから他人の私が、どうにかできる問題ではないんですよね。(アドラー心理学でいう、課題の分離です。自分にコントロールできない課題は、手放すしかありません)

 

 親にコントロール(支配)された人は、自分も他人を、無意識にコントロールしようとしてしまいます。

 

 万人に好かれることは、どんな人にとっても、あり得ないことです。様々な生い立ち、背景を持ち、価値観も千差万別だからです。(私にとっては実親が、世界中で、もっとも私の心を理解できない、遠い存在です)

 

 魂のレベルも個々違います。ちょっと話しただけで、気持ちをわかってくれる奇跡的な人も、確かに世の中には、存在しますが、そのような人に出会うことは、とても稀で、奇跡だと感じます。

 

 私は夫という、唯一無二の、素晴らしい存在に出会うことができました。

 

 ありのままでいられて、どんな時も味方でいてくれて、いつも対等な関係でいられる、そんな人といつも一緒に暮らしていくことができる。それだけで、素晴らしい奇跡をひとつ、もらっています。

 

 しかし、夫以外の人の前ではどうかというと、いつも自分の心を後回しにしがちで、適切な自己表現ができず、一番自分の心を無下に扱ってしまう癖が抜けない。

 

 安心を感じている時は、自分を少しずつ出せるようになってきましたが、不穏な雰囲気や他人の言動を察知すると、途端に、私の心は揺れ動きます。

 

 でも、もう心底疲れました。嫌われたっていい。自分のままで、生きていきたい。我慢して、自分の心を殺したくない。才能や能力を社会に対して、正当に発揮することが、たとえできずに、この人生が終わったとしても、私のままでいたい。

 

 何かに怯えたり、不安になったり、生きづらさを感じて、疲弊したりするのは、もうこれ以上、御免です。

 

 普通に生きていても、2割の人は、自分を好きだと感じてくれる人、6割は、好きでも嫌いでもない人、2割が自分を嫌う人、に分かれるそうです。

 

 以前の私は、みんなに好かれたくて、嫌いな人にまで合わせて、結果的に、最初、自分を好きでいてくれた層からも嫌われるという、悲しい体験を過去にしました。(その当時は、アダルトチルドレンであることさえ、知らなかったから、仕方ないですが)

 

 自分の核がなく、周りの、移ろいやすい、ころころ変わる、その時の感情や言葉に振り回されて、人も自分も不幸になる、という苦い体験をしています。

 

 そう思えば、ありのままと堂々と生きていって、自分を出すことによって、離れていく人がいたとしても、ある意味、とても自然な事なんですね。

 

 無理して人に合わせても、無理して合わせないと一緒にいられない人とは、結局、長続きはしない。私には、夫以外、友達と呼べる人も、ゼロです。関わる人はほとんどいません。

 

 心のどこかで、夫以外の人とも上手く行く関係性ができれば、幸せだなと思いますが、それは願って手に入るものではなく、人生を終える時に、思い当たる人がいたら、幸運だったと呼べる程度のものだと思います。

 

 自分の事を信じられず、生きづらさを抱えて生きていくのは、もの悲しいですが、せめて自分のことを信じて、楽しく生きていけたら、好きな事、やってみたいことを思う存分していきたい。

 

 自分を満たすことの先にある、社会での自己実現を叶えることは、人を信じられない私にとっては、難しいかもしれません。本当は、そこまで行きたいですが、今はまだ、そんな自信は、一mmも芽生えてこないです。

 

 自分の心の中に眠っている宝がたくさん、あるような気がするのですが、どうやったら、芽が出るかさえ、今の私には、わかりません。

 

  今の私がすることは、どんな自分にも無条件の愛を注いで、自分の気持ちに寄り添い、減ってしまった心のエネルギーを補充すること、です。