自分語りについて(11/13ブログ記事)の、続きです。自分語りは、闇雲に、誰彼構わずにやっていたわけではありません。
許可がないと、何もできない人間だったので、極小の友人や、恋人や、話を聞いてくれそうな人にしか、話しません。「この人は大丈夫だ」と、自分を拒否しなさそうな人を無意識に選んだうえで、自分語りが露呈していました。
話すこと2割、聞くこと8割を心がけようと思った所ですが、ふと気づきました。すでに聞くことは得意だったことを。ただ、極端な偏りがあっただけで、バランスが取れていなかっただけなのです。
幼い頃から、役割が逆転していることすら、わからないままに、経験を通して、ずっと母のカウンセラーをやっていました。母以外の人にもです。それが、信頼の証、大切なコミュニケーションとさえ、錯覚していました。
アダルトチルドレンさんは、実は才能豊かな方が多いことを、ご存じでしょうか?
長年にわたって、機能不全家族の中で生き抜く、という生存戦略で、やむなくやっていたことですが、強制であったとしても、それをやり抜くだけの強靭な魂の持ち主であり、才能や魅力に溢れているからこそ、耐えることができ、やりたくない役割をやることもでき、乗り越えてこれたんです。中には、社会的、経済的な成功を勝ち取る人もいます。(心の中はボロボロでも…)
耐えられない人は、自死するか、親を殺すか、という極端な思考になっていくかもしれません…。(私は異常性に気づかないまま、自分の心が蝕まれていってました。指摘してくれる人がいなかったら、今頃どうなっていたか、考えるのも恐ろしいです。おそらく、精神が崩壊され、精神的な死を迎えていたでしょう。)
それほど、追い詰められているのです。韓国映画「毒親」は、自死した娘を追い込んだ犯人を突き止めようとした母親が、最後には、自分が原因だったことを知る映画のように。
(私の経験を通して思うのは、自死や、親を殺してその先の人生を棒に振る価値など微塵もありません。本当は誰かに助けてほしかったはず。だったら、自分を助けることに全力を注いでほしい、ということです。その環境から「離れる!」と、あなたが固く決意できれば、必ず道は開かれます)
親との関係が、オープンにならなかった時代には、結果だけが世に出ますが、実際には、紐解けば、親子関係の在り方と相関関係があることは、昔から起こる残忍な事件から、充分理解できるでしょう。
人の話を聞くという行為そのものは、素晴らしいことです。しかし、それが強固にパターン化し、一方のみが、多大なる自己犠牲を強いられいる、異常な親子関係においては、NGなのです。
話を聞けば聞くほど、他方は、もっと依存し、ダメになっていきます。自分で自分の事をなんとかする、という、その人の持つ本来の力、エネルギーを無意識に、お互いに奪い合って、無力化していく行為になるのです。(相手の依存症を、無限に悪化を促すことになり、結果的に、どんどん自分の立場が苦しくなっていきます。)
アダルトチルドレンさんで、機能不全家族の中で、カウンセラー役だった方は、きっぱりと辞めましょう。聞く義務はありません。愛を持って、物理的に離れ、傷ついた心を手当てして、回復しましょう。
あなたが経験から勝ち得た、人の話を聞く、という行為は、健全な間柄にある人との間で、適切に才能として発揮しましょう。
その際に、気を付けるべき点は、感情や責任などの境界線を明確にしておき、しっかりと守ることが前提です。
話を聞くことは、相手との信頼関係の構築に繋がります。しかし、自分が聞きたくない気持ちを我慢して、神経とエネルギーを消耗してまでやることではなく、一方だけがいつも聞いている、という、役割が固定化し、パターン化することが良くないのです。
アドラー心理学の「課題の分離」を実践しましょう。相手の感情は相手のもの。相手の選択も責任も相手が取るべきものであり、話を聞く側が、自分以外の人の責任を持つ必要はありません。
境界線を引くことを、罪悪感感じることなくできるならば、あなたの一つの才能として、継続できます。
機能不全家族という、底なし沼に、あなたの才能を、無駄に流し込むことはやめましょう。
あなたの潜在的に持っている、素晴らしいエネルギーは、自分の心を修復し、自分で自分の心を満たせるようになったら、どうぞ、健全の人との間で、社会で役立ててください。