以前、父親の自慢話について、ブログを書きました。
自分の心を探る中で見えてくるのは、親からされて心底、吐き気がするほど嫌だったことを、自分も認識せずに他人にやってしまっているという、悲しい事実です。(被害者は、状況次第で加害者にも転じます)
世代間連鎖で、無意識に引き継いでいるので、仕方ないのですが、ひとつひとつの呪いを解除していくには、気づいて、より良い選択に変えていく習慣をつける、練習をしていくしかありません。
呪文を唱えて一瞬で魔法のように、別人に変われればいいですが、人間の思考手術は、できません。
それが可能なら、世の中に生きづらさを感じる人など、一瞬でいなくなって、皆がハッピーになれますけどね。そこは、個人の気づきや学びによって、乗り越えていくことになります。
私は父の自慢話が嫌いでした。相手がどんな状況か、聞く意思があるかどうか確認もせずに、一方的にいろんな自慢話を始めるのです。
私は、回復し始めてから、自慢話をする人の心理を調べてみました。ふと思ったんです。なぜ父は自慢話をするのだろうか、と。
自慢話をする人は、周りから「認めてもらいたい」という、無意識の願望です。
自分に自信がある人は、自慢話をしません。する必要がないのです。自分で自分を認めているから、他人に認めてもらわなくても、心が満たされているんです。
自慢話は、自分に自信がなく、子ども時代に、親から認めてもらえなかったから、自分を大きく見せることで、周りから賞賛されたいのです。
される方はたまったもんではありませんが、「なぜこの人は、こういう言動をするのか?」と疑問に思って紐解いていくと、その人の内面に隠れた心理があります。
嫌うのは簡単ですが、(他人だから嫌って離れるのも自由ですが)
私は理解できる人が増えたら、もう少し優しい世の中になる気がします(自慢話を我慢して聞け、ということではなく、嫌だと言ったり、距離を置いたりして、自分を適切に守るのは前提ですが、その人なりの背景や理由がある、ということです)
私も親に認めてもらえませんでした。それが、「自分語り」という言動で現れていて、「人に認めてもらいたい」と無意識に渇望してしまっていた、ということに気づいたんです。
心のどこかで、「どんな人でも、きちんと話せば、わかってくれるはず」と盲信していました。周りが見えなくなるほど、人に認めてもらいたいという、承認欲求に飢えていました。
血が繋がっていても、一緒に暮らしていても、両親は私の心を理解することはありません。逆に、何も語らなくても、私を理解してくれる人もいます。
「心の呪縛から解き放たれて、自由に生きたい」それが、私の願いです。
痛すぎる習慣をしていた自分も受け入れて、少しずつ改善していくだけです。
人とコミュニケーションする時は、話す2割:聞く8割が、理想なんだとか。
最初から完璧にはできないから、まずは、人が話している時には口を挟まない事、人の話を聞く癖、そして、話すこと3割に抑えるように、意識づけ開始です。