アダルトチルドレンとして、機能不全家族の中で生活するためには、常に高い理想を掲げ、それを死守し、親を始めとする周りの人達の顔色、言動、ニーズに注視し、他人の欲求を満たすことが第一優先で、人に迷惑をかけない、聖人的な自分でいることが求められた。

 

 自分の意思や想いは、心の奥深くに沈めて、固く扉を閉め、ないものにしてきた。

 

 本当の気持ちを感じてしまったら、異常な家庭環境を、自分の人生を生きていくことが出来なかったから。自分の心の叫びや悲鳴をその都度、直に感じきっていたら、自死していただろう。心の感覚を麻痺させる防衛反応が、私を守ってくれた。

 

 それでも、私は死のうとは一度も考えなかった。正確に言うと、廃人のように生きていて、死ぬ気力すらなかった、という表現の方がぴったりくる。

 

 それと同時に、例え僅かであっても、どこかに「光」があるのではないかと無意識に感じ取っていたから、というのもあった。

 

 解決の道標はないかと、いろんな知識を吸収し、模索した。なにか私の、この苦しみの正体を解明してくれて、解放していく方法を…。

 

 原因は灯台下暗しで、私の目の前にあった。けれど、当時の私は深い洗脳中で、親を神格化しているから、そこに原因があるとは、夢にも思わない。

 

 私は、人生を変える方法を常に探していた。でも、今になって思う。人生を変えようと躍起になっている時は、今の自分を全否定している、ということ。

 

 人生を変える最初の一歩は、現時点の自分が、どんなにみすぼらしくて、歪んでいて、ちっぽけで、情けなく思えたとしても、そんな自分を認めて、そっと抱きしめること。

 

 見たくなかった自分の心の闇をしっかりと受け入れて、沢山の理不尽な立場で苦しみに耐えてきた事実を理解し、その副産物として身に着けた、完璧主義や認知の歪みや思考癖や、親からダウンロードしてしまった価値観とか、そんなものを一度、全部取り出して、はっきりと見てみること。

 

 親は神ではない。ひとりの人間だ。間違いも失敗も、時には、ちょっとずるい考え方もする、欠点や弱点も持ち合わせた生身の人間。

 

 子は親を無条件に愛し、尊敬し、生きるお手本にしていく、純粋無垢な存在。自己という人格を形成することを阻まれて育つ子どもは、なす術なく、親の悪影響な洗脳の元に生きる。

 

 洗脳というと、悪いもののイメージが強いけれど、良い洗脳を受ければ、良い思い込みが形成されて、人生の歯車が、ポジティブな方向に回り出す。

 

 人生の最初の鋳型を創る段階に、どんな環境にいたかで、人生は大きく変わる。

 

 でも、不遇な人生は不運で残念なことではなく、最初にそのような苦労を背負う人達は、本当は強い魂なのだと思う。乗り越えようと思って生まれてきた。

 

 けれど、乗り越えられずに、人生に翻弄されたままで終わる人と、それを糧にパワーアップして人生を塗り替えていく人とに分かれるだけ。

 

 何か出来事があって、すぐに自分を精査し、まずかった点ばかりを見てしまうのは、アダルトチルドレンとして生きた痕跡。そんな思考癖は、自分を無制限に苦しめ、自分のエネルギーを奪うだけ。

 

 冷静に客観的に出来事を振り返り、次はどうしたら、自分がすっきりしていられるか、どうしたいか?ということに気づいたら、それで充分。

 

 振り返ることと、分析せず、ただ落ち込んで、起きた出来事を受け入れられないでいることは、違う。起きた出来事をなかったことにはできない。次から改善や工夫をしていくだけ。そして失敗する自分も、立派な自分の一部。

 

 誰も周りに味方がいなかったから、より良い方法が学べなかったけれど、これからは、いつ何時でも、自分自身が自分の味方でいよう。

 

 完璧主義の人は、自分の失敗や間違い、欠点をなかなか受け入れられない。でも、人間なのだから、間違いもする。それは自然な事。そこで自分を責め立てるのではなく、優しく許容する姿勢を、今から育てよう。

 

 もう減点法の思考癖はいらない。頑張ってきた自分、一生懸命に生きている自分を褒め称えて、僅かでも前に進んでいる、成長を喜ぼう。比べるのは他人ではなく、過去の自分から、どれだけ豊かになれたか、に注目しよう。

 

 自分を優しく励まして、小さな進歩、喜びを感じて、生きていこう。幸せを感じるセンサーを磨くことで、幸福感が増えていく。今日も頑張って生きている自分にありがとう。

 

 あなたも、自分の小さな喜び、成長、幸せに敏感になって、豊かな人間を更新していってください。これからは、どうやったら、豊かで幸福感に満ち溢れた毎日を過ごせるかに、注目していこう。