私は不本意ながら、不便な田舎へと引っ越してから、新婚生活が始まりました。

 

 夫の通勤条件だけで、今の土地に来たわけですが、そこに住んでいる人達も市民性、町の雰囲気なども全て違和感だらけで、「この町は大嫌い!!」という、耐えがたい、強い反発心がありました。

 

 それに拍車をかけるかのように、やっと見つけた物件の集合住宅は、築浅にもかかわらず、とても造りが簡素で、音は筒抜け。

 

 おまけに階下の住人は、常識知らずで、小さい子ども達は、まるで地震が起こったかと思うほど暴れ、部屋中を走りまくり、その爆音が共鳴して、二階の私の住む部屋へと響き渡ります。

 

 当時は、工事現場に住んでいるようで、一瞬も心安らぐことが出来ませんでした。振動と騒音、そして、父親の時々聞こえる怒鳴り声、そして、乱暴にドアを開け閉めする不快な生活音に、腸が煮えくり返る思いでした。

 

 管理会社へ言っても、注意のビラで2,3日は収まってもまた元通り。その繰り返しでした。私以外の人からも、何度も苦情が出ていましたが、当人達はどこ吹く風。

 

 当時の管理会社の担当の方は、良心的な方で、「次あったら直接、お宅訪問して、注意をする。」と言ってくれましたが、そこまでしたら、こっちが悪者になるような気がして、結局我慢してしまいました。

 

 年中、怒りまくっていました。(幸せなこともなかったわけではありませんが…)毎日、引っ越す事ばかりを考えては、どこか良い物件はないかと探す日々。

 

 私が住んだ地域は、賃貸物件が元々少なく、大半の人達は、家を買い、建てて住むのが一般的なようでした。しかしながら、夫は転勤ありの職場。その事情を差し置いても、私達夫婦は、この場所に、定住する気もありませんでした。

 

 そんな時に、カウンセリングを開始しました。

 

 今、外側の世界で起きていることは、自分の心の内側のことが、外に反映されている、そんな話も出てきました。

 

 表面的に見えているのは、騒音という問題であっても、その奥にある真の問題は、そこではなく、私の心の中にある、40年余りも抑圧してきた感情が、表に出たがっている、と。

 

 この場所で、沢山の悲しみに触れ、号泣し、カウンセラーさんという、心強い、心の拠り所かつ、道しるべを頼りに、私の心を取り戻していきました。

 

 沢山の悲しみや怒りの放出、気持ちの吐き出しに、いつも、凛として寄り添ってくれた、カウンセラーさんなしには、今の私はありません。

 

 生まれて初めて、本当の自分の本心と向き合う日々。外側の現実は、燦燦たるものでしたが、それでも、いつも私の味方でいる優しい夫と、新しい道へと導いてくれるカウンセラーさんという、信頼できる人が二人いたことだけが、救いでした。

 

 そんな生活をすること数年、夫の転勤だけを待ちわびるも立ち消えになったりで、新天地への引っ越しという現実は、まだ現れてはいません。それでも、私の心は、カウンセリングを通して、大きく変化しました。

 

 幸せを感じる感度が少しずつ戻り、自分の心の声を無視しないで、聞くようになり、少しずつ、自分という存在が、楽になってきているのを実感しています。

 

 過去記事で、自分の部屋を理想の部屋へと変える、と宣言しましたが、新しい家具を揃えるにあたり、今、部屋の断捨離に励んでいます。

 

 ずっと気が進まず、放置していたキャビネットの整理を始めたのですが、自分の思い込みとは裏腹に、いざやってみると、案外、簡単にさくっと進んでいき、びっくりしています。

 

 なんだかすごいものが入っていそうで、近づきたくない気さえしていた時期もあったのですが、開けて全部出して見てみたら、そんなことはなく、本当に必要なものは、そんなになかったという印象でした。そして捨てることは、心の開放に繋がるようです。

 

 私が今までの人生の中で、一番投資したのは、本でした。

 

 知識を得ることで、どうにかして人生を好転させようとしていました。でも、今は、あまり本は買いません。買っても何度も読まなくなってしまい、荷物になるだけなので、本屋さんで眺めるか、読んだら、即売るなどしています。

 

 先入観を捨て、いろんな価値観に触れたいので、本は今でも大好きですが、今は、本を解説してくれる動画などもあり、そちらにシフトしています。

 

 そして何より今は、知識よりも、他でもない、自分だけの感覚を大切にして、それを生きるベースにしていくことに、転換していっているのです。

 

 ものをあまり持たず最小限にして、よりシンプルに、軽やかに生きたいのです。

 

 新しい家具を決めたり、断捨離をしていたりしていた矢先、あんなに大迷惑だった階下の住人が突然、引っ越しました。最後の最後まで、「発つ鳥、後を濁さず」ではなく、見事に「発つ鳥、後を濁しまくり」で出ていきましたが、驚きました。

 

 永久に、ここに住む気だろうという気さえしていたからです。先に出ていくのは、間違いなく私の方だと、思い込んでいました。でも長年住んでいる間に、私の中で、徐々にではありますが、後から振り返れば、大きな心の変化がありました。

 

 あんなに嫌でたまらなかった階下の住人に対して、最近は、あんまり嫌な気持ちが湧いてこなくなっていたのです。

 

 以前は、見かけるだけで、無性に腹が立って仕方がありませんでした。激しい心の反応があり、囚われていました。「汚すな!」「もっと他人の迷惑も考えて!」「自分達だけの家じゃない!」とか、いろんな感情が湧いていました。

 

 目の前の現実に、文句を言っていた、という状況でした。どうにもならない現実を、どうにかしてコントロールしたかったのでです。でも、他人は変えられません。

 

 「現実は、自分が創っている」という言葉は知っていても、現実をどうやって変えたらいいのか、さっぱりわからず、行き詰まっていました。

 

 自分のいい気分になることをする、ということも、よく言われていますが、そのことが許せず、頭から離れなくて、自分を良い気分にすることをやる気にすら、なりませんでした。

 

 それでも、自分の中にある、どろどろした感情を吐き出すようになってから、後から連動するように、強い反応が、徐々に薄れてきたことに気づきました。

 

 人目を気にして、家から出られなかったところから、気分がちょっと乗った時に少しだけ、外を散歩してみたり、本当に小さなことから始めました。

 

 私は繊細気質です。その事実は変わらないし、これからも、香害や、騒音などには、悩まされる場面はないとはいえません。

 

 しかし、自分の心を綺麗に掃除していくと、何かしら、心の変化が訪れます。

 

 みなさんも一度、騙されたと思って、外側の現象を、一旦、脇に置いて、自分の心と向き合うこと、自分を愛することに全力投球してみられることを、お勧めします。

 

 私は引き続き、外側の現象になるべく囚われる時間をなるべく減らし、自分の楽しくなることに目を向けるように、訓練していくつもりです。

 

 自分に起こる出来事の中で、どうしてもネガティブなことに引きずられますが、焦点を自分の心に合わせて、楽しいこと、ほっとすること、嬉しいこと、自分を満たす練習に取り組んでいきます。