「毒親を捨てる」という表現が、毒親関連本では多く出てきますが、私の場合は「捨てた」のではなく、辛すぎて、これ以上関わることができない、というのが本音です。

 

 無意識の親の言動が、私の心をズタズタに踏み倒すものであり、耐えられないから、一緒にはいられない。ただそれだけです。

 

 心を回復させている途上で、またその根源に触れることは、過去のトラウマを呼び起こす、呼び水にしかならないからです。

 

 回復度合いが、さらに進んでいくと、ひょっとしたら、親と接しても、痛くもかゆくもならなくなるのかもしれませんが、私は、まだその段階には至っていません。

 

 押し殺していた感情を呼び覚まし、やっと、親に対して、正当に怒りを表現する、というところまでは、行きましたが、それでも、言いたいことの百万分の一も、言葉としては、言えていません。

 

 しかし、言った所で、プライドがエベレスト級の山のように高い親にとっては、単なる起爆剤にしかならず、余計な労力と被害が及ぶだけなので、そんなことはしない、と決めています。

 

 ただ、自分の中にある、悲しみに裏打ちされた莫大な怒りは、自分で折り合いをつけて、処理していかないといけません。

 

 感情は癒しても癒しても、どんどん出てくるし、自分を大切に扱おうと心に決めても、骨の髄まで、自分の存在を押し殺して40数年も生きてきた私にとっては、新しい信念を持とうと思っても、古い信念に揺り戻されることがあり、とても歯がゆいし、もどかしく感じます。

 

 でも、一歩ずつ進んでいくしかありません。今日も、生かされているということに感謝しながら、いろいろと考えながら生きている私です。