機能不全家族に育ったACは、ほどほどの限界を教えてもらえなかった為、自分が壊れるまで頑張り続ける癖がついています(※この、「ほどほど」というのが、とても重要な部分です。)

 

 かく言う私もその一人です。「もう疲れた」と感じているのに、それを止めることが出来ないのです。(今でも時々、まだやります…)そんな不毛で、不必要な過度な頑張りは、精神と身体を蝕みます。

 

 私の母がそうでした。疲れているのに、ずーっと頑張り続けてしまう。周りが察して、手を差し伸べてくれるのを待っています。しかし、救いの手は現れません。そんな経験を無数に、母は、幼少期にしたのでした。

 

 だからこそ、私が、母の存在を逐一注視し、認め「察して」優しい言葉をかけたり、励ましたりするのが、心底嬉しかったに違いありません。

 

 血を分けた、わが娘だけは、何よりも私のことをわかってくれる、という安心感は、本当は、母が祖母から、もらいたかった愛情なのです。

 

 祖母から得られなかった愛情を娘からもらうことが、母の無意識下の乾ききった心を、たとえ一瞬で、ジュっと蒸発してなくなってしまうとしても、何よりも欲しかったのです。祖母から、健全な愛情を与えられなかった母の心は、乾ききった砂漠の心なのです。

 

 だからと言って、本来、わが子は、親から愛情をもらって自我を形成し、成長していく魂です。それなのに、愛情をもらうどころか、親に愛情を与えなくてはいけない立場へと追いやられます。そんな不毛なゲームを、なぜしなければならないのか?

 

 それは、親を満足させる子でなければ認められないからです。認めてもらわなければ、子は生きていけません。死活問題なのです。だからこそ子は必死です。嫌だとか言っていられないのです。捨てられたら死ぬしかありません。

 

 このようにして親は、無意識に子に、無理難題な役割を強いてしまいます。母の意識下では、そんなこと微塵も思っていません。だからこそ厄介なのです。母はあくまでも、惜しみなく子に愛情を与えているつもりです。

 

 子を常に心配し、子が傷つかないように監視し、全てを支配し、子の選択、経験、人生を取り上げて、骨抜きにしている事実をわかりません。

 

 だから、長い時間をかけて、やめることなく、じわじわと子の心を追い詰めていきます。支配に満ちた、窒息するような、ねっとりとした毒のような愛情を盛り続けているとは、気づいていません。

 

 次第に、毒が溜まっていき、子の心は、ますます瀕死の状態です。見た目は、大切に育てられている「箱入り娘」ですが、実態は違います。

 

 常に子を心配してしまうのは、母の心が元々、不安でいっぱいなのです。それは、娘である私が生まれるずっと前からです。

 

 母は、自分の不安定な心というフィルターを通して、子を見ます。「投影」の原理で、子を信頼することができないのです。それは、母自身が、自分を愛し、信頼することができていないからです。

 

 自分を愛し、信頼することができていれば、子を信頼することが出来ます。

 

 子が自分で選択することを許容し、見守ることができます。たとえ失敗したとしても、それを糧にさらなる成長を得る、貴重な経験をしたと認めることが出来ます。

 

 本来、親は、子にとっての安全基地にならないといけません。親自身が、子の心を脅かす存在となってはいけないのです。

 

 しかし、これが、過干渉その他の毒親の在り方、共依存の実態なのです。

 

 母は、いつ何時でも、「母親」という役割に徹していました。子を満たすことができる私は、母親として素晴らしい、という役割なしには、自分の存在意義を見出すことができないのです。

 

 子が親に望むことは、健全な愛情と信頼を与えてもらい、健全に、自立した一人の大人になっていくことです。ずっと頑張り続けることを強いられることは、自分の心と身体を適切に守る術、自己を健全に保つための境界線を引かせてもらえない、ということに繋がります。

 

 健全な家庭には、厳格ではない「ほどほど」の、適度な限界があり、それをお互いに守ることができています。

 

 親が、自分の限界どころを知っていて、頑張り続けることを辞めて、適度に自分を労わり、休ませることができているならば、子は、親の在り方から、「ほどほど」のラインにある限界を、自分でも設けることができます。

 

 親の境界線の在り方を、そのまま子も習得します。私のように、親がずっと極限まで頑張り続けるタイプだと、子もそうなります。世代間連鎖していくのです。

 

 無意識下にしっかりと埋め込まれていても、これに気づいて、その都度、外していくと、過度で不必要な頑張りをやめることができるようになっていきます。

 

 親のカウンセラーは、本当につらかったです。「愚痴」を言う人は、1mmも解決しようと思っていないことを、私は、洗脳が解けだしてから目の当たりにしました。

 

 ただ聞いてもらいたいだけなんです。聞いてくれることだけが重要なので、次から次に問題を持ってきます。しかも、私が解決しなくてよい問題を。

 

 自分の「愚痴」を聞いてもらっている時の、母の恍惚とした、うっとりとした顔が今でも焼き付いています。私がどんなに解決策やアドバイスを言っても、何一つ実行しません。

 

 自分の人生に対する責任を全放棄しているので、ただ、自分に、エネルギーを与えてもらいたいだけだったのです。そんなことを、40数年もやっていたなんて…。私の貴重な人生をどぶに垂れ流しているとも知らずに、必死にやっていました。

 

 母のカウンセラー役に徹すれば徹するほど、母の娘に対する依存度はどんどん増長していき、蟻地獄になっていくだけでした。

 

 このつらさは、原家族の父や、兄ですら、わからないでしょう。父や兄が「仲良しな母娘」として眺めていた光景は、本当は、その度に、私の心が、魂が引き裂かれていた惨劇だったのです。

 

 その上、私は、一家全員の情緒的な調律役でもありました。それぞれ、思うところがあっても、皆、私を介して言うのです。(今ならば、「直接対峙して話してください!」と断固拒否しますが。)私が、そんな役割を幼い頃から引き受けているとも知らずにやっていました。

 

 なんだかいつも疲れていて、自分の部屋の中に入ると、無気力になっていました。当時は、理由がわからなかったけれど、私自身が役割に追われて、自分の心を殺し続けていたからです。

 

 私は、機能不全家族の情緒的カウンセラー、一家の大黒柱、問題の解決役、そして自分の存在は時には消す、ロストチャイルド、幾重にも持った役割は、辛いものでした。

 

 最愛の夫と暮らすようになり、カウンセリングを受け、洗脳が解けてきてから、改めて、夫の存在の大きさに、神様に感謝せずにはいられません。

 

 いつも対等に見てくれる夫、私の思い、意思、願望、感情を認め、そのまんまの心の有り様を理解し、寄り添ってくれる夫、私が嫌だと感じることは何一つ強要せずに、尊重してくれること、時には頼もしく面白い夫、そんな存在の人と出会えたことは、あの環境下では奇跡でした。

 

 母は私をがっつりと掴んで、自分の元から立ち去らないように、あらゆる抵抗を見せました。でも、私の人生は、私だけのものなんです。だから、必死に振りほどきました。とても怖かった。今は平穏な日々を過ごしています。

 

 親がこれほどまでに怖い存在だなんて、ショックでした。自分の為だけに、娘を取り返そうとする母の姿を、私は見ました。今まで大人しかったのは、私が母の言うなりだったからだったのだ、とはっきりと悟ったのでした。

 

 でも、これ以上、母の心を満たす為だけに、死んだように生きていくことは、私にはできませんでした。私は、固く封印していた扉を開けて、そこに耐えがたいほど、大きくて深い心の悲しみに触れたからです。

 

 深い深い洗脳状態にあった私は、カウンセラーさんが指摘してくれなければ、目覚めない程、酷い状況でした。あの一言が、本当の私を蘇らせる、救いの言葉だったのです。

 

 だからこそ、私と同じような立場にある人達に言いたい。自分の心を一刻も早く救い出して、と。