日頃、生活している中で、皆さんはどの程度、本来の自分とは違う人になりきって「演技」をしている時間がありますか?

 

 「演技」と言えば、大げさかもしれませんが、本当の気持ちを隠して人と対峙する事は、私は、「ポーズ」であり、「演技」だと感じています。

 

 政治家、役者だけでなく、ふつうに生きている人であっても、母親という役割になっている状態の時、妻や夫という立場、社会的な立場(上司、部下)、子どもであっても、同級生や先生、親と接する時に、あえて「演技」する状況もあるでしょう。

 

 仕事上の付き合いなど、本音をダイレクトに言うことがマイナスに働く場合、人は、相手に対する衝撃や摩擦、不調和を回避する為、本来の気持ちではないように振る舞うことがありますね。どうしてもそうせざるを得ない場面は、確かにあるかもしれません。

 

 しかし、「演技」をすることは、その場を取り繕うだけでなく、後々、トラブルを招くことの方が多いです。そもそも、どのような関係性であれ、本音が言えないのは、不健全な関係です。関係を考え直すきっかけにした方が良いです。

 

 令和は、個の時代、そして、心を大切にする時代です。心がそこにあるかないか、感じとれる人が増えてきています。数字では測れないものであると、気づいてきている方も多いでしょう。量より質の時代とも言えます。

 

 私は、エンパス気質で、非常に繊細、かつ嘘がつけません。

 

 子どもや動物のように純粋に物事を見てしまう人間なので、心の中で思っていることは、言葉にして出さなくても、悲しくも顔に出てしまうイタイタイプです。

 

 人からは、幼いとか、大人げない、子どもっぽいと評価されることばかりでした。特に昭和の時代は…。

 

 でも、私自身、人の評価を気にせずに、等身大のありのままの自分として生きる、と決めてからは、そのような評価は、ただ一つの見方に過ぎないと解釈するようになりました。

 

 確かに、損をする場面はあります。テニスの某選手も、随分バッシングされた時期がありましたが、私は、彼女と似通った性分があるので、彼女の心の葛藤も、手に取るようにわかるし、共感できます。

 

 完璧主義は、行き過ぎると、生きづらさに繋がりますが、良い方向へ持っていけば、向上心が強く、頂点を目指すために、努力を惜しまず、達成するまでやり遂げる強い力も生むことも、また事実です。

 

 自分を許し、認めることと、完璧を目指す事とのバランスを見つけることが出来れば、とても良いパフォーマンスをすることができます。

 

 人の欠点もコインの表と裏のように、表裏一体です。欠点に見えるところも、場面や見方を変えれば、プラスになるのです。

 

 大切なことは、完璧主義だからダメとか、ではなく、その人なりの心の扱い方や、思考の緩め方を、習得すれば良いのです。

 

 日本人は和を大事にするので、場の雰囲気を壊すような言動は控え、同調する傾向があります。それは、とても素晴らしい気質ですが、やりすぎると、自分の本心を押し殺す場面が増えますので、心の中は葛藤だらけになります。

 

 私は長年、思っていることが、顔に出てしまうのがとても嫌で、直したくて、いろんな試みをしましたが、どんなに気を張っていても、注意していても、できないという結論に至りました。

 

 どんなに頑張ったって、欠点のない人間にはなれません。むしろ、完璧主義の私にとって、大切なことは、どんな状態の自分をも優しく共感し、肯定して受け入れる、という姿勢こそが、大事だと感じるようになりました。

 

 完璧主義の人は、ダメな自分、失敗した自分、ミスしてしまう自分、恥をかいた自分など、自分がこうあるべき、という理想像から、少しでも外れたら、自分の事を認めることができず、自分責めをする癖があります。

 

 それは、機能不全家族の中では、とても有効に働きました。

 

 しかし「自分が主役の人生を生きる」というステージでは、弊害にしかなりません。「べき思考」は、ACの人には、よく見られる思考癖です。外すべきは、自分を追い詰め、苦しくさせてしまう思考癖なのです。

 

 自分を不幸にする思考癖については、また別記事で触れますが、自分が幸せに生きていくためには、他でもない自分自身が、自分の事を、無条件に愛し、自分を満たし、認めていくことが必要不可欠です。

 

 私は、「演技」で、優しくするのもされるのも、大嫌いです。本心は反発しているのに、そうすることは、本人の心の中では、相当なストレスですし、第一、私は、人の嘘を見抜くのに長けているので、すぐに、ポーズだなとピンときます。

 

 いつも同じ顔、同じ表情、いつも穏やかで誰に対しても安定している人の方が、私は逆に怖いし、警戒します。人の心は、波動と言われるように、揺れ動くものです。バイオリズムがあります。

 

 「良い人」を徹底的に演じている人に限って、心の中は、結構真逆なことを思っていたりします。心は怒っているのに、顔は笑顔、という人の怖い一面を、私は過去に何度も経験しました。そういう人の方が、実はとても怖いです。

 

 結局、「演技」は、した方もストレスを感じるし、された方も、大抵の場合、何かしら違和感を、心の中に感じると思います。プロの俳優さんならわかりませんが…。俳優さんはそれがお仕事なので、その役に徹することが必須ですが、自分をありのままに生きようとする時、「演技」することは、弊害にしかなりません。

 

 「演技」する時間をなくして、自然体でいることが、ありのままの私として生きることに繋がると思います。

 

 私のように、一見、損しかしないような子どもっぽい人は、人生を辛くすると思われがちですが、大人であっても、それで、生きていけないかというと、これが、不思議とそうでもないのです。(人生を辛くするのは、その人の資質そのものより、生育環境によるところの方が圧倒的に大きいです。)

 

 自分の心は晴れやかだし、みんながみんな否定的に見る人ばかりでもないのです。もはや、人に受け入れてもらうことを、潔く諦めたら、すっきりします。

 

 気の合う人とは合いますし、合わない人とは、互いに境界線を広く遠く保って接していけば、被害は最小限で済みます。人間、どうやったって、万人に好かれることは皆無です。

 

 私は、重度のACなので、回復までの道のりは、時に困難で、一進一退の時もありますが、自分の心が回復するにつれて、自然体で笑顔になれる時間が少しずつではありますが、確実に増えてきました。

 

 心からの笑顔は、それだけで人に癒しの力を与えます。そんな人達が増えていけば、日本は自ずと良くなっていきます。

 

 ただ、私自身の思いを世界一、一番理解してほしい血縁の親に対して、何一つ本音を言えていないことは、とても残念ではあります。

 

 親が傷つくからと、本音を言うことが出来ない親子関係って本当に辛かったです。不健全な関係そのものだったのだなと、今、改めて思います。

 

 子に我慢や、ありのままでないことを強いる関係性は、子の心を破壊します。

 

 それが、子の人格形成を阻むのみならず、認知の歪みや、あらゆる不健全な制限を引き起こします。そして、それが、心の無意識下に固定され、その人の人生をとてつもなく困難なものにします。

 

 親と上下関係にある人こそ、自分の本心を大切にしてほしいし、できれば表明することが、本当は大事です。

 

 自分の感じる思いに、自分自ら✖をつける必要は1mmもないし、むしろ、そのようにして、あなたの魂の想いを自ら殺してはいけません。

 

 例え、否定してくるのが、あなたの親であったとしても、です。あなたの気持ちや思い、感情はあなただけのものであり、良い悪いも、正解、不正解もありません。(感情の境界線を知り、習得していきましょう。)

 

 例え、相手が親であろうと、衝突したとしても、本音でぶつからないと、見えてこないものもあります。

 

 しかし、私の親のように、本音を言えば、ぺしゃんと潰れてしまって、「こんなに大切に育ててやったのに!親に対する恩をあだで返して」などど、逆に、非難、罵倒するレベルにある重度の親には、できません。

 

 過干渉始め、毒親に悩む方、共依存の方達に、言いたいことーそれは、親をがっかりさせてもいい。親を傷つけてもいい。自分の心を押し殺してまで、親の期待に応える必要も義務もない、だから、罪悪感に苦しまなくていい、ということです。

 

 意見が対立することは、血が繋がっていても、違う人格を持った人間なのだから、当然なのです。そこを受け入れることのできない親が、まだまだこの世の中には、とても多い状態です。

 

 子の人格、思い、感情を尊重するということの大切さを、子育ての中心に据えるという姿勢を、私は浸透させたいです。(何も子の言いなりになるという意味ではありません。互いの心を尊重しながら、生きるということです。その為には、親自身の本当の心を取り戻すことが、先決です。)

 

 年齢の若い子だから、何もわからないではありません。ある意味、純粋な子だからこそ、言葉に出して説明できなくても、親の本心を、無意識に見抜いています。

 

 だから、親の思い通り、期待通りに動く、「演技」をしなければ、生きていけない子がいるのです。

 

 親が、子に寄り添い、対等、尊重に値する存在として扱っているか否かは、子は、はっきりとわかっています。

 

 無意識に、子に我慢を強いていないか、親自身の価値観、過度な期待を押し付けていないか、冷静な目で客観的に振り返る視点を持ち、親子であっても、きちんとした境界線の元で子を育てているか、親の立場にある方は、確認する視点が必要です。

 

 境界線の意味すら、もしわからなければ、そんなつもりはなくても確実に、無意識に、子の人格形成、思い、感情に土足で踏み込んでいるでしょう。

 

 親と子であっても、別個の人格、思いや感情、独自の感性を持っていることをいつも自覚して、適度な境界線を保つ訓練ができていないと、いとも簡単に境界侵入は起こります。そして、どんな関係性であっても、「役割」に徹するあまり、本音を語り合わないでいると、大切な心の在り方をお互いに見失います。