親の子に対する期待というのは、親であれば誰しも、少なからず持つものです。こうなってほしいという、親の子に対する願いは、ごく自然に湧き出るものです。

 

 しかし、「親の期待」というのは、子に多大なるプレッシャーを与えます。言葉や態度に出していなくても、子は敏感に肌で感じ取ります。人の無意識は繋がっていますから、頭で意識していようといまいと、それは伝わります。

 

 親の期待に応える子は、健全な愛情を親からもらっていないからこそ、親の期待に応えることで、親からの愛情を得ようという愛情飢餓欲求です。

 

 ですが、この「親の期待」というのが、実に、とても厄介なのです。

 

 全く期待をかけられない子も、ある意味では、可哀想ですが、逆に、期待をかけられる子は、一旦、この終わりなき、親の期待に応える過酷なゲームに参加してしまうと、大変なことになります。

 

 なぜなら、親の期待に応えれば応えるほど、そのハードルはどんどん無限大に高くなっていくのです。

 

 かつての私のように、第三者から指摘され、共依存だと気づいた頃には、親からの期待と要求は、エベレスト級にまで高く険しく、強固なものとなってしまいました。何といっても、40年分ですから。

 

 この段階まで行ってしまうと、もはや、その頑強な山のような親の期待は、無理難題なレベルに達し、子がどんな思いで、その要求に応えているかなど、親は全く気づきません。

 

 「それは、この子の性格」とか「この子は、好きでやっている」「自ら望んでやっている」とさえ、甚だしい錯覚を脳内で起こして、誤った思い込みを強化していっている親さえいます。(私の親です…)

 

 「この子は、なんでも親の言う通りにするわ。」と無意識で、固く思い込んでいるので、洗脳が解け始めてから、私が激しい拒否を示しても、どこ吹く風でした。認識していない事実は、脳が受け入れないのです。

 

 私は、その時思ったのです。もし、もっと早くに、共依存の事を知っていたならば、親と同居していた子どもの時から、親を失望させていればよかった…と。

 

 どの道、子は成長するにしたがって、いつか、親と意見が分かれる日が来ます。親とは違う、自分という生き方をしていくためには、避けて通れない関門です。

 

 親と全部同じ意見なわけがないのです。血を分けても、違う魂なのですから。

「うちは、全部一緒だわ。」と思うお父さん、お母さんがいたら、私が断言します。

 

 「子が、あなたに無理して合わせているだけです!」と。

 

 このようにして、子を思い通りにしていく親は、小さい時から、そう仕向けているのです。そして、一度、期待に応えて終わりという、シンプルなものではなく、どんどん無意識に、子に対する期待は、大きく膨らんでいくものなのです。

 

 その負のループを断ち切る方法は、たったのひとつです。できるだけ早く、期待に応えることを辞めるのです。期待に応えても、毒親は、健全な愛情を与えてはくれません。

 

 条件付きの愛情は、叶えたその時だけ、笑顔なり、賞賛なり、喜んでくれたり、自分を肯定してくれたりしますが、それは、親が、子を期待通りにすることによって、子からエネルギーをもらっているだけなのです。

 

 子が生まれる前から、親自身が、幼少期から抱えている愛情飢餓欲求が発動していて、無意識に目の前にいる子から、一時的に埋め合わせしようとしているだけなのです。

 

 (人からもらったエネルギーはすぐなくなるので、渇望欲求は、親自身が、自分の心と対峙しない限り、永遠に続きます。)

 

 健全な親は、子からエネルギーを吸い取ったりしません。子の思い、願い、意見を尊重します。

 

 あなたが、親とは違う意見、拒否を表明した時、あなたの親がどういう反応をするか、確認しましょう。その時の親の反応から、あなたの親がどのような親なのかを、見極める判断材料にしてください。

 

 親の反応の仕方によっては、あなたの親が、たとえ、その時点では、あなたを困らせる親だったとしても、関係性を変えていける可能性も、もしかしたら隠されているかもしれません。

 

「あら、なんだ。それならそうと言ってくれれば良かったのに。」とあなたの意見をもし、聞き入れてくれる親なら、見込みがあります。

 

 仮に、ため息や、反対するような言葉や態度が出たとしても、それ以上の働きかけをせずに、(諭したり、強要したりせずに)最終的に認めてくれるなら、このタイプの親もまだ、関係性を変えていける親と言えます。

 

 どんどん意見を言うことによって、この子はこういう子なんだと、親自身の、子に今まで抱いていたイメージと思い込みが変わり、子への期待度が減ったり、手放しが起こり、ありのままのあなたを受け入れるスペースが生まれる余地があります。

 

 親の期待を下げることによって、これ以上あなたは、ハードルが無限大に上がり続ける過酷で、不毛なゲームをしなくてよくなります。

 

 悲しい事実ですが、ハードルを上げ続けているのは、自分自身ということでもあるのです。

 

 言うことを聞いてくれる子がいなければ、成り立たない関係性だからです。叶える人がいるから、期待を持つのです。だから、期待を叶える方が抜けたら、もう一方は、目的は達成されません。

 

 もちろん期待をかける親が、子を苦しめていることを気づかずにやること自体が、一番いけないですが、期待は、知らず知らずに誰でも持ってしまうものなのです。

 

 ただし、子を苦しめるほど、過度な期待をかけ、要求し続ける親は、毒親に該当するでしょう。

 

(そうなる前に、親自身が気づいて修正してほしい問題ですが、無意識にやっているので、気づくのは容易ではありません。親の気づきを促すには、親業講座などのようなものが、広く普及することが望ましいです。)

 

 親と子であっても、以心伝心ではありません。親と子という、血縁と愛情が絡んだ関係だからこそ、特に、目の前の本質が、客観的に見えなくなりやすいのです。

 

 どうしても主観に偏りやすいので、言葉や態度に出して、はっきりと表明することが、とても大事です。

 

 親とそのような対等な関係性を築けたら、あなたは、家族以外の周りの人達とも、対等な関係を築いていくことができるようになります。
 

 嫌な顔をされたり、ため息つかれたり、否定されたりするのは、子としては辛いことですが、親をがっかりさせてでも、あなたの生き方を曲げないでください。服従することが、一番よくありません。

 

 (※暴力などで、服従、強要を繰り返す危険な毒親の場合は、別記事にします。)

 

 健全な良識ある親だったら、一時的には、がっかりしても、子を尊重してくれるはずです。親を失望させることに、罪悪感を感じる必要はないのです。

 

 親を失望させるという経験も、健全な、自立した大人になる為に必要なことです。

 

 あなたの意思、思いを表明することは、本来、安心安全な家庭においては、正当に認められる権利です。

 

 私のように、幼い時から、親の期待に応えることが、無意識下に深く染みついている場合、本人はそれをやめる、という選択肢さえ思い浮かびません。

 

 理由もわからずに、苦しみ続ける要因をひとつひとつ検証し、できるだけ早い段階から、軽くしていきましょう。