私は、機能不全家族から脱出して、回復の道を歩んでいます。
2018年からカウンセリングを開始し、完全に親との接触が絶てた(心身共に)と実感したのは、ここ最近の事です。
まだ、私の脳内(無意識の領域)には、沢山の足枷達や制限などAC特有の思考癖、誤った思い込み、両極端な認知の歪みなどはあります。
しかし、徐々にではありますが、少しずつ少しずつ、極端な偏った信念が緩み始めてきたことを感じています。
自分を肯定する気持ち、自分を労わる言動、自分を大切に扱うこと、自分の心を喜ばせること、自分をありのまま無条件に愛するということを、体感し始めています。
境界線の問題は、まだ確立している最中で、手探りですが、人と自分を分け隔てる境界線は、お互いを適切に守る為の、大切な心の線引きです。
これは、血の繋がった親子であっても、必ず必要なことです。むしろ、親子だからこそ、ついつい、他人よりも、無意識にお互いに頼りすぎたり、甘えが出てきたり、期待が度を越しすぎ、過度な要求をしたりします。
上下関係、主従関係、力関係となりやすく、特に、上の立場にある親や教師などの大人の方が、頭に入れて、気をつけなくてはいけない点でもあります。(境界線については、過去記事を参照ください。また別記事でも、書く予定です。)
心の境界線ができ、保てるようになると、自分も相手も心地よい距離感を得て、目の前の出来事に激しく動揺し、一喜一憂していた不安定な、自分の感情の波立ちが緩やかになり、ブレにくくなってきます。
私は、周りの状況や自分の体調などでまだ揺れ動きやすいので、試行錯誤中ですが、どんな時も、自分の心に焦点を当て続けるということの意味と大切さが、わかりかけてきています。
少しずつ少しずつ、目に映る景色が変わり、心の平穏度が上がり、ジェットコースターのように激しかった感情の起伏が緩やかになり、安定する時間が増えてくるようになります。
自己肯定感を上げなければ、と必死になっていた気持ちを一旦保留にして、目の前の自分のニーズ(要求)を捉え、行動に移し始めることが少しずつですが、できつつあるように感じます。
極端な認知の歪みは、まだありますが、気づけるようにはなってきました。
「あ~今、極端なところまで考えちゃっているな」と。そんな自分を責めるのではなく、(最初はダメ責めが止まりませんでしたが、ようやく自分へのダメ出しは薄くなってきました。)冷静に、振り返るのです。
私は、脳内に「車の速度メーター」が浮かびます。0のところから約200のところまである速度メーターが、ある出来事に反応して、ある解釈をした時、瞬時にアクセルをぎゅうっと踏みすぎて、反対のメーターへと振り切れるように、極端な解釈、捉え方になっているのを感じます。
「ほどほどのところで、ストップしていいんだよ。」と自分に問いかけます。答えは、0か100かだけじゃない。途中に、1~99までの、グレーゾーンがあるよ。ほどほどの考え方、捉え方だったら、どんな選択肢があるかなと考えてみるのです。
AC特有の偏った世界の見方は、自分をどこまでも奴隷のように下に置き、その為、関わる相手に対する恨みを募らせ、やがて周りの人達に対しても、疑心暗鬼になります。
目の前にいる人が、自分をどう扱うか、粗末に扱うのではないかと常に神経を張り巡らし、相手の好ましくない点についてばかり必要以上に注目しすぎて、人を信頼できません。
人は誰しも、良い所だけ、逆に悪い所だけ100%ではありません。良い所も、ちょっぴり苦手だったり、ダメなところも混在しているのです。
どんなに悪そうに見える人にも、良い所もある。逆に素晴らしく良い人に見えても、これはちょっと…と思うところがある。どちらか一方だけではないのです。
ACの人は、ちょっとしたエピソードだけで、「すごく良い人!」「なんて悪い人!」と決めつけてしまう傾向が強いのです。
それは、この世に生まれ落ちて、初めて接してくれた両親から、粗末な扱いを受け、完璧を求められた結果、思考は極端にならざるを得なかったのです。過酷な環境を生きた痕跡なのです。
親が自分を対等に健全な思いと態度で扱い、無条件の愛情と安心を与えてくれていたなら、人は、親以外の人に対しても、好意的なものの見方をします。
人生を形作っていく大切な出発点に、初めて色をつけた親が、好ましくないカラーを子の無意識の心に、繰り返し無数に、たくさん植え付けてしまった為に、人を信じることが出来なくなっていきます。
本当は、この世界は、とても愛と平和と調和に満ちた素晴らしい世界なのです。それを見えなくさせているのは、無意識に植え付けられた、好ましくないモノの解釈の仕方、思考癖、誤った思い込みが原因です。
そして、ありのままでいられなかった為に、自分の心を健全に育てることができずに、人格形成をしていくことが出来ませんでした。
だから、自分という人間を、最初から育て直す必要があるのです。
(※ACは、「Adult Children」の略語です。家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷ついたまま大人になった人のことです。身体は大人でも、精神は健全に成長することが叶わなかった為、子どものままで、止まっている状態です。)
自分の魅力、才能、優れた長所、ちょっぴり苦手な所も優しく受け入れて、感情との向き合い方を知り、情緒的、身体的な心の境界線を健全に引き直して、自分を肯定し、自信を育んで個性を表現し、今度は、ありのままに自然体で生きていくのです。
ありのままに流れるままに、偏狭で時の年月とともに、度が分厚くなってしまった世界を見る眼鏡を、透明で、度が限りなく薄い眼鏡に変えていきましょう。そうなると、あなた自身が、とても楽に心地良く、ありのままに物事を見れるようになっていきます。
血の繋がった親と言えども、魂は別なのです。魂の学びとして、無意識のあなたが、機能不全家族を選びました。
それは、攻略できるからこそ選んだのです。だから、血縁の親だからという理由だけで、自分の人生を犠牲にしないでください。自分以外の誰かの操り人形にならないでください。子の人生を搾取する権利も義務も、血縁の親であってもありません。
上記タイトルは、自分が回復し始めてから、どうしたらいいかなと時々、考えていた疑問でした。私と同じような環境の人が、私よりももっと早く、その環境から抜け出し、自分を取り戻して自由にありのままに生きていくには?と考えていました。
私は、異常な環境から抜け出すことも、容易ではなかったですが、抜け出すだけでは、まだ本当の自分になれません。
何度もこのブログで書いていますが、自分の言動を、特に心の無意識の領域としっかりと対峙し、冷静に根気強く内観し、ひとつひとつ気づいていく、本来の自分でいられる状態へ戻していくことが大切です。
親から、健全な愛情と安心安全を与えられなかったことに加えて、親の価値観に合わせるために、自分自身の心を歪ませてきた、たくさんの思考癖や制限、思い込みが強化され続けて、無意識に植え付けられ、自動運転になっているままだからです。
長い道のりのようにも時には感じますが、辛い時期を乗り越えていくと、段々とゲームのように楽しみながら、自分という人間を発掘していくのが、少しずつできるようになっていきます。
私は最初に、物理的に親との距離が、結婚によってできました。しかし、心の無意識は、実家の機能不全家族の元にべったりとくっついていました。
カウンセリングを数年受け、過干渉、母娘共依存の事を理解し、そして、虐げ続けてきた、沢山の悲しい感情と向き合い、数えきれないほどの涙を流しました。たくさんの時間をかけ、やっと洗脳が解けていきました。(それでも、まだまだ癒し切れていない感情もあり、癒す作業も継続中です。)
これはあくまでも、私の場合ですが、もし、結婚という、家を別に持つということがないままだったら、カウンセリングを受けていたとしても、自分を取り戻すのは、容易ではなかったと思うのです。
親の無意識の言動に引き戻されるからです。親はいつまでも、子を奴隷扱いし、自分の手元に置いておこう、今まで通りの役割をしてもらおうとするのですから、自分軸が確立できていない私には、簡単に境界侵入が相変わらず続いていくからです。
今まで言いなりだった、大好きな親との間に、心の線引きをするのは、とても大変でした。親に、意思表示をする(特に拒否、否定の意を表すること)は、とても難しかったです。
それが、できるようになってきたのは、ある程度の時間と、些細な小さなことで激しく揺れ動く私を正しい方向へと導いてくれる、揺るぎないカウンセラーがいたこと、また、自分と夫という絶対的な味方がいて、新しい安心安全な家族と家、という別空間があったからです。
親からの接触があり、声を聞くだけで、無意識に自分の心を虐げて、親を喜ばせるスイッチがすぐ入ります。(今は消失しました。怒りが湧くだけです。やっと怒りを出せるようになりました。)
カウンセリング当時は、離れていて、時々接触するだけでも、激しく揺さぶられるのに、一緒に住んでいたとしたら、とてもとても耐えられず、すぐに昔の自分に引き戻されてしまったと思います(私は優しすぎたのです。あえて自分で言ってみます)
悲しい時に、思い存分、何の躊躇いもなく、泣くこともできない。怒ることもできない。感情をしっかりと出すには、当事者がいるところでは難しいでしょう。
本当は親に対してぶつけたい積年の怒りを、当の本人達にぶつけられたら、どれだけすっきりするかなと、何度も思いました。(今はかえって厄介なことが増えるだけなので、薄れてきました。)
気づいてくれる親なら、充分ぶつける価値がありますが、大半の親は、気づくどころか、さらに激しく人格否定したり、悪者、親不孝者扱いしてきたり、被害者意識を全面に出して、泣き叫ばれたりするだけなので、やめた方が無難です。悲しいけれど、受け入れるしかないです。
自分がACだと自覚しても、大人になり、親の無意識の言動に、心底腹が立っても、(私のように洗脳状態がひどいと、感覚を麻痺させているので、怒りすら感じず、言うなり状態のままということもあります。)一緒に住んでいたら、またその怒りも飲み込むしかなくなりますし、感覚を麻痺させていたならば、あなたの無意識下では、被害がより一層拡大し続けていることを自覚してください。
ただ、機能不全家族が原因で、引きこもりになるケースも多くあります。そういった場合は、経済的にすぐに親元から離れるということは、難しいでしょう。
その場合は、まずはあなたの、これまでの抑圧してきた感情の毒出しから始めることが必要です。味方になってくれ、理解してくれる、良識ある相性の良い人や場所を見つけましょう。カウンセラーである必要はありません。
そして、これからは、人生のあらゆる選択は、親の意向を全く入れずに、自分自身の心だけに従って、決めていくのです。人生の主導権を自分自身に戻していく練習を、小さなことからでいいので、実行してください。
自分がその時、食べたいものを選んで食べさせてあげる。親が好みそうな服ではなく、自分が本心から着たいと思う服を選ぶ練習をするのです。服を選んだ時、「本当に、これは私が着たいもの?」と問いかけてください。
選ぶ時、何を基準にしているか、よく注視してください。これまでの無意識の繰り返しによって、親が何も言わずとも、気に入りそうな、賛成してくれそうな服を優先させている自分に気づいてください。
無意識で何が自動運転しているかに気づいて、選び直していくのです。
そして、親と同居したままであっても、押し込めている自分の本当の気持ちを、言葉に出して、認識することが、とても大切です。
でも、もし自分の力で、経済的な自立が可能な状態ならば、まずは、親から離れてください。それが、回復のための、大きな第一歩(大前提)だと、私は思います。
これまでの感情の毒出しと、物理的に距離を置くことは、重要な大前提であると、私は感じています。