私が機能不全家族で生き抜いた経験を元に、(私もいまだ、回復の途上ですが…)これからは、このような現状をどう変えていくのか、ということについて、書いていきたいと思います。
私は、第三者から指摘されるまで、約40年間もの長い間、自分の家庭環境が異常で、母とは共依存で、父も母もアダルトチルドレンで、親としての健全な機能を何一つ果たしていなかった…という衝撃的な事実を知りませんでした。
親としての健全な機能とは、情緒的、心理的に見て、安全と肯定、ありのままの人格と尊厳を子に認め、上下関係ではなく、対等な関係としての姿勢を持っていることです。
私は表面的には、恵まれた家庭だったのです。貧乏だったわけではなく、衣食住は保証されていましたし、親からは愛情を沢山注がれた(実際には、心身を窒息させる、ねっとりとした「毒」と「支配」だったのですが…)箱入り娘だったのです。
父は、医者や弁護士などの高級職ではありませんでしたが、安定した堅実な職業に就き、表面的には仕事もできる、子煩悩な父親でした。母は、パートをしていた時期もありますが、基本的には専業主婦として、常に部屋を綺麗に掃除し、料理上手で、清楚な身なりの母親でした。
しかし、情緒的な面ではどうかというと、父は、母が子どもしか眼中になかったので、必死に母の心を自分に向けさせるために、母の言うなりでした。
母も、表面的には自立した立派な大人として振る舞っていましたが、親からの愛情を得られずに育った為、愛着障害を抱え、情緒は不安定でした。自分のことが心底嫌いで、自己否定感を常に抱え、周りからの愛情を渇望していました。父も同じです。
精神は、自立した大人同士ではないから、お互いの意見を話し合い、歩み寄り、解決をする、ということも、できません。そして二人とも、無意識下では、周りからの「愛情」を渇望している状態です。その無意識はどこに向かうか。
ある人はアルコールに、ある人は暴力に、ある人は宗教を心の拠り所にします。しかし、圧倒的に多いのは、人依存(恋愛依存など)でしょう。
無意識は、不足している愛情を、他から補填しようと渇望します。それは、とても強く激しい衝動です。抑えることができません(過去記事では、「過去の心の渇き」と表現しています)
親から健全な愛情をもらえなかった、アダルトチルドレンは、その無意識の衝動に精神を乗っ取られます。不足分を補填したいから、一番身近にいる、自分の言うことを聞く、立場の弱いわが子に、その矛先が向くのです。
健全な愛情をもらえず、自我の確立を阻まれている、子の私が、両親に代わって、機能不全家族の混乱、不安定さ、秩序を保つ為、問題を肩代わりし、家族間を中継ぎ、橋渡しの役割を引き受け、家庭の問題を解決する「ヒーロー」いわゆる心理的な、一家の大黒柱のような役割を担いました。
健全な愛され方をされなかった両親が、健全なやり方で、子を愛するということは、到底無理な話でした。
しかし、だからと言って、子が犠牲になり続けていい…というわけでもありません。これからの時代は、重症になる前に、問題の渦中にいる「被害者」とその家族に対し、風穴を開け、改善へと促していく必要があるのです。
今、冷静に振り返って思うのは、血の繋がった親や兄弟以外に、誰か、自分の事を対等に扱い、自分の状況と心の苦しみを理解してくれる人が、一人でもいたなら、少しずつでも自分軸や自己肯定感が育ち、私はもっと早く、いろんな対策ができ、被害も最小限に済んだのでは…と思うのです。
今は、学校にスクールカウンセラーも配置されているようですが、不登校の子も、昭和の昔とは違い、とても多いので、スクールカウンセラーがいても、追いつかない状況でしょうが、極端な話、カウンセラーでなくていいと、私は思っています。
心のこと、機能不全家族のことを理解している人の方が、望ましいとは思いますが、カウンセラーであっても相性があります。当然、合わない人もいます。カウンセラーかどうかより、人としての相性の方が、遥かに大事だと思います。
例え、過干渉や共依存のことを知らなくても、自分の心の苦しさを何の躊躇いもなく、吐露することができ、寄り添い、無条件に味方となり、絶対的な安心できる存在の人や場所があれば、ずいぶん、その人の人生は違ってくると思うのです。
親戚の誰か一人でもいい。近所のおじさんやおばさんでもいい。自分が生活している範囲内で、わりと頻繁に会うことが出来る人や安心できる場所があれば、心の中は、真っ暗な洞窟の中を、一人で歩いているような感じであっても、灯りがひとつあるだけで、人はとりあえず歩いていくことが出来ます。
自分を対等に扱い、無条件に肯定してくれる人や場所は、生きていれば一人くらい、誰でも縁があるはずなんですが、そういう人がいるんだ!と意識しないと、見つけにくくなります(当時の私です)
以前は、心の中にいつも「誰も私のことを理解してくれない」という信念があったので、私は人生前半40年では、残念ながら出会いませんでした。
(一時的な味方は、数人現れてくれましたが…高校時代の恩師など※過去記事(2022年9月2件)完璧主義がもたらす代償ー0か100か思考という認知の歪みー、過去の私を抱きしめるー夕暮れの職員室ー参照のこと)
子ども時代の私と同じ立場にいる人達が、安心できるような、そういう心の安全基地を、家族以外に持つことは、とても重要だと考えます。そんな場所や人が創られ、増えていくことを、私は、心底願っています。