私の両親は、アダルトチルドレンであり、ヘリコプターペアレントでした。なりたくてなったわけではない、悲しい背景がありました。でもその事実が、結果的に、子を苦しめる結果となりました。
私の親は生涯、苦しい子を二人生み出し、育ててしまったことに気づくことはありません。でも命を授け、何とか生き長らえさせてくれたことだけは、感謝しています。私の親の、周囲の親族さえもその事実を知る人は、当事者の子(=私と兄)と、私の夫を除いてはいません。
40年を超えてその事実を知り、コロナの影響が、幸いにも私を後押しし、数年かけて異常な家庭環境から抜け出しました。結婚はしていましたが、物理的に距離ができても、心の距離は、実家にべったり状態でした。
洗脳状態が私は特に深かったので、第三者からの指摘がなければ、今でも、苦しんでいたはずです。抜け出した今でも、その余波はまだ続いています。
兄は、両親と今も一緒に住んでいるようです。決して円満に…というわけではないと思いますが、私は、もう連絡を絶っているので、事情を知る方法はありません。
母は、私に会いたい一心(かつ、兄の言動をなんとかしてほしい、という一方的な要求。当事者間で話し合うこともできない為)で手紙を送ってきていたこともありましたが、私は、ある時点から、手紙の返事もしなくなりました。
母からの手紙は、私の心をただかき乱し、感情を激しく揺さぶるだけのものだったからです。私に対する恨みつらみ、こんなに私を苦しませて…という心情が、言葉の端々に溢れ出ているのです。私に対する不満が沢山あると匂わせていました。
一見すると、私のことを気遣っているような言葉もありますが、無意識の本心は、あなたに他の誰よりも良くした、この私をなぜ放っておくのか?私を満たすのは、あなたしかいないのに。こんなに可愛がってやったのに…という言葉に収束されます。
私はこの、可愛がって「やったのに」という言葉が、なにより嫌いです。
私は、言葉にすごく敏感です。人の思いを語る言葉は、使う人の心と気持ちによって、良いものにも悪いものにもなります。言葉によって人は癒されることもある。でも、一方で凶器にもなるのです。
話がやや逸れますが、日本人でも、言葉の意味をよく理解せずに、ぼんやりとなんとなく感覚でふわっと捉えている人が多いように思います。
特に、最近の若い方は…なんていうと、歳を重ねた老人の偏見に満ちた嘆きのようですが、日本語というものが、やや乱れて使われているなと感じることがあります。
逆に、日本語をイチから勉強した外国人の方の方が、遥かに博識だったりするわけです。日本に生まれた日本人も、もっと頑張ろうよと感じてしまいます。
同じ言葉でも、その人の捉え方によって、使われ方は千差万別です。それに戸惑うことが私はよくあります。
ただ単に細かいとかこだわりが強い、とも言えるかもしれませんが、日本語はとても繊細で複雑で、でも的確に絶妙に表現できる言葉が、他の外国語より多くあるように思います。短歌や俳句、百人一首などは、その典型例ですね。
だから私は、もっと日本語のことを知り、大切に適切に使いたい、とそう思うのです。人の思いを伝える、とても貴重な言語です。
話を元に戻しますが、子を産んだら育てるのは、当たり前のことです。そこに「育ててやった」という文言が入るのは、上下関係、主従関係と捉えていることの何よりの証です。子を道具と捉え、思い通りにコントロールしようとする、まさに支配の象徴です。
私の母は、思い込みがとても強固で、かつ心配性、完璧主義で、もちろんアダルトチルドレンなので、精神も不安定でした。愛着障害があり、境界性パーソナリティーの傾向も強いです。
周りからは決してそうは見られませんでしたが、それは、演技がトップ女優並みに上手だったからです。世間体を常に気にする、良妻賢母であらねばならないと思い込んでいた母です。
父もそうでした。子煩悩で、何でも優しく指導(…しているつもりだったのでしょうが、内情は、母と同じ支配)し、何でも親に頼るように仕向けていました。
だから、私と兄は、常に「監視」されて育ちました。何か失敗するのではないか、傷つく姿は見たくない。それが、両親の心の中枢に君臨していました。
だから、失敗を怖れる子に育ちました。自分だけの意思で決めることは皆無で、大人になってから、兄からこっそり聞いたことですが、「本当は、入りたい高校が別にあった」と。
兄は幼少期から優秀でしたので、両親だけでなく、学校の先生たちも、そして友人達も、周りの誰もが、県内一の進学校に行くだろうと思い込んでいました。だから兄は、一度も本音を口にしませんでした。
彼の高校生活は、殺伐としたものになっていきました。親の期待に応え続けるためだけに、高校に通う…。これが、どれほど辛いことか、わかるでしょうか。今の私には、痛いほどよくわかります。本当に辛かっただろうなと。
同じように支配されている私には、彼を救うことはできませんでした。でも、彼と私は、唯一、家庭の中で、お互いが素でいられる貴重な同志でした。
私は兄との意思疎通が良好だったので、両親は、兄の心がわからなくなり始めてから、なんでも、私を間に入れて、仲を取り持つように、私を頼っていました。
こうして、私には役割がどんどん増えて、ますます自分の魅力や才能も含めて、機能不全家族に全精力を注ぎました。
私の本当の心を深い海の底に沈め続けて…。本当の私が悲鳴をどんどん上げているのに、私は、私を無下に扱っていきました。今思うと耐えられないです。
でも、私は誰かの役に立つことで、自分の存在意義を見出していたのです。だから、悪い意味でメリットも当時はあったのです。今はもう必要ないですが。
親から「監視」をされるということは、子の健全な経験、成長を阻む行為です。やがて子も、周りを監視の目で見てしまいます。何か変なことをされるのではないか、理不尽な出来事に遭遇しないかと。その心配と思い込みが、現実に反映されていきます。
「失敗しても何しても大丈夫、私達がついているし、いつも見守っている。あなた(子の選択)を信頼している。いつでも私達という安全基地がある」という姿勢の両親の元では、子は失敗を怖れずに、失敗しても、またそこから立ち上がることを学び、自分に対する自信をつけて、健全な自立した大人に成長できます。
どうか今、子育てをしているという方達は、自分の子育てが、「監視なのか、見守りなのか?」一度、振り返ってみてください。もし、心配して、「監視」してしまうという方は、その不安は、目の前のわが子が何かする、とかではなく、自分の心の中に、気づくべき不安の種があるはずです。