機能不全家族の元での無数の経験は、心の奥底で、自分の本来の魂の叫びを押し殺しながら、不遇な環境に適応し、歪んだ世界に生きなければならなかった、親への恨みを蓄積していくことになります。
頭で意識していてもいなくても、親への恨みは、健全な家庭環境でなければ、誰しも自然に抱くもの。それは、私達子どもであっても、上下関係ではなく、一人の尊重されるべき、痛みを感じる人間だからです。
自分の親が、歪んだ解釈、価値観を持ち合わせていれば、子は、生きていく為に、合わせるしかありません。過干渉、共依存のような環境下では、子の意思を尊重していると親自身が深く思い込んでおり、子どもには理解があり、子の自由にさせてやっているとさえ錯覚していますが、現実は、無意識の仕組みという巧妙な技を使いこなして、子を支配下に置いています。
生きる為に、歪な環境に合わせて、自分の考え方も湾曲させる、そのことが、沢山の誤った思い込みや制限を生み出し、大人になってからも苦しみ続ける原因となります。何が苦しいのかわからずに、満たされない毎日を送る、そんな人達が、この世の中には、まだまだ、たくさんいます。
どこかの時点で、自分の環境が異常だったと気づいて、自分を取り戻す為に、回復への道へ入った人達は、それだけでも大変な進歩です。本当のありのままの自分を取り戻すことは、決して簡単なことではありませんが、「気づいた」という事実が、とても重要です。
私もまだ回復の道半ばですが、少しずつ、生きている実感、喜び、幸福感が増し、私というオリジナルの唯一無二の存在を、愛おしく、大切に育て直す日々が続いています。
親への恨みは、親が例え、亡くなったとしても、簡単に消せるものではありません。それほどまでに、根が深いものです。カウンセリングで、抑圧してきた沢山の感情達を解放する浄化作業中は、親を適切に恨む、というプロセスは、とても大切だと感じました。
私は、心のどこかで、親への恨みを持つ自分を恥じ、罰していました。「こんなこと、思ってはいけない」という気持ちがとても強かったです。優しい方ほど、そう思いがちです。そんな風に思う必要は全くありません。何も悪くなかったのですから。
親を恨む自分自身を、まずは許すのです。親をしっかり恨まないと、親を赦すことはできません。しっかりと時間をかけて、思う存分恨み切った先に、赦しは、自ずと訪れるギフトのようなものだと思います。
今思えば、ただでさえ、苦しかったのに、さらに自分を追い込んでいました。今なら、「親を恨むことは、当たり前」と自分を肯定できますが、当時は、まだできませんでした。しかし、まずは自分を苦しめずに解放してあげることが、第一優先順位なのです。いつも自分を後回しにしてきた人にとって、一番自分を傷つけたことは、「他人を常に優先し、自分を粗末に扱ったこと」なのですから。
「親を赦さなければならない」と思っている時も、まだ親を赦せる段階には至っていません。無理して、赦さないといけないと、自分自身に圧力をかけている状態だからです。
親を恨みたい時は、何の躊躇いもなく、気が済むまで、どうぞ親を恨んでください。親を恨みながらでも、自分を解放していくことはできます。親を赦すことを、回復のゴールにする必要もありません。赦せないままでもいいんです。私は、自分にこのことを許可できてから、自分の心が、とても楽になりました。
自分も結婚し、日々生活する上で、健全な愛し方をしてもらえなかった両親は、わが子に、健全な愛を与えることは到底できないことだった、と思えてから、少しずつ、親に対しての恨みが、減っていくのを感じました。
親は親なりに、一生懸命に、子を愛したつもりなのです。私の親は、子の心を、人格を全く理解、尊重できずに、上下関係の支配下に置いて、子を自分の乾いた心を満たす道具にしてしまいました。
それは、許されない事実であり、そんな服従状態から脱出することは、罪なことでもなんでもなく、自分を守るために必要なことです。たとえ、親であっても、そんな権利はありません。
親というフィルターを外して、人対人として、健全でない関係は、拒否していいのです。
一人でも多くの人が、この事実に気づいて、自分を適切に守り、癒し、ありのままの自分を楽しむ人生を歩んでほしいと思います。
私もまだ、回復の為に、沢山の足枷を外していく必要がありますが、自分の認知の歪みや、制限、誤った思い込み、不健全な境界線を認め、これらは、自分に与えられた、自分を攻略するための問題集なのだと思って、自分の責任として受け止めて、前に進んでいきたいと思っています。
いつまでも親のせいにしていても、自分の有限の時間が少なくなるばかりです。被害者意識は、物事の本質を見えなくしてしまいます。
私は、そろそろ、ようやく、そのベールを脱ぐことができそうです。