いわゆるアダルトチルドレンと呼ばれる、機能不全家族に生きた人達は、その環境に適応するために、心の癖を身に着ける。
親が完璧主義なら、自分も完璧主義に。親が子を信頼して見守らず、常に監視し、失敗すること、傷つくことを恐れ心配すれば、子も失敗を恐れ、成功することだけを目標にする。親の考え方が偏狭ならば、子も偏狭になる。そうならなければ、反発や抵抗が酷くなり、その環境にいられない。でも、まだ一人でお金を稼いで、自活していけない子どもは、生きていく為に、そうせざるを得ない。
子は、涙ぐましい努力の末に、その「心の癖」を身に着ける。
でも、大人になって、どこかの時点で、自分の生きた環境そのものが、異常であって、自分はどこもおかしくなかったのだと知った時初めて、今までとは違う、自分を解放する、自由でありのままに生きる道があることを知る。
回復するには、また別の努力が要る。その環境から脱却することに伴う、いろんな軋轢が生じることもある。それでも、負けてはならない。親の価値観という、狭い狭い価値観の箱に入っていた自分を、解放してあげなければいけない。
何十年と、親の価値観をダウンロードし、その価値観で生きてきた人達にとって、自分の脳、肌に一体化して染みついた、その狭い価値観を、自分から剥がしていくことは簡単なことではない。
今でも時々、思うことがある。健全な家庭環境に生まれていたなら、私も10代、20代位で、沢山の大きなチャレンジが出来ていて、楽しい人生を歩めていただろう、と。
でも、この人生を選んだのは、私…。魂の私が、成長に相応しいと選んだ環境、そして家族。そういう実感は、正直言って持てないけれど、これからできることに目を向けるしかない。
これまでの過去の中に、沢山の宝物が、本当はあったのだということに気づいていけたらいいと思う。
話が逸れたが、親が心配が先立ち、完璧主義だった場合、身に着ける癖は、親と同じように、失敗を恐れること。ネガティブな面に鋭くアンテナが立つこと。そのアンテナの感度ばかり鍛えてしまったこと。
でも、もう今ではそのアンテナが、私を苦しくさせるだけになった。だから、今日あった出来事でも、良くなかったと感じた出来事よりも、こんな嬉しいことがあった、幸せなことがあった、良かったと思える出来事を数える練習をしよう、と思った。
私には、住む家があって、理解してくれる夫がいて、安らげる空間があって、水があって、食べ物があって…などなど。
それを毎日数えていったら、どんな私になっていけるかとワクワクしながら、やってみよう。