長年の機能不全家族から抜け出し、過干渉・母娘共依存で休眠していた自己を取り戻す為には、この異常な支配関係がもたらしている弊害や仕組みを芯から理解し、そして、その心の呪縛をひとつひとつ綺麗に洗い流し、偏狭になってしまった認知の歪み(完璧主義、全か無か思考、被害者意識など)を緩め、ニュートラルへと戻す。
環境の中で身につけざるを得なかった足枷達をクリアにした上で、その人本来の感覚、センサーを蘇らせ、それを実行に移して、新しい体験を積み重ねていくこと。
自分の意思だけで決め、新しい、いろいろな体験をしていく、ということが、とても大切です。例え、その体験が、自分にとって好ましくない結果に終わるものであっても、これもまたとても大事なことなのです。成功体験も失敗体験も、どちらも同じくらい必要だと私は思います。
親から、過保護、過干渉にされ、構われすぎて育つ子は、健全な家庭環境で育つ子に比べて、圧倒的に「体験」が足りないのです。これが、一番致命的なことだと私は感じています。体験が、人の心を成長させるからです。
親が子を心配する気持ちは、口に出さなくても、子に全部伝わります。自分の意思だけで物事を決めさせてもらえない子は、無気力になり、被害者意識を持ち、そして自分の人生に責任を持つ、ということもできなくなります。
親の心配が先立つ余り、子は、失敗してはいけない、失敗は悪いことだ、という無意識のメッセージを親からもらいます。親が完璧に親業をこなすと、子は心が苦しくなります。自分も完璧であらねばならないことを悟るからです。
これでは、息をつく暇もありません。休息できません。心の安らぎを得ることができません。生まれた時から、ずーっと全力疾走なのです。終わりがこない、ずーっと走り続けなければいけないランナーなのです。
「嫌なら、口に出して言えばいいのに。」と思うかもしれません。それができるのは、子の思いを親が受け止め、受け入れる家庭だからこそです。
産まれた時から、子は親から、無意識のメッセージを受け取ります。機能不全家族においては、親に支配されていること、上下関係であることを、親の思う通りを演じないといけないことを、無意識に感じ取ります。自分の意思を認めてくれないことを無意識でわかっていて、(又は、何度か口に出してみても、否定される経験を通して)抵抗することさえ放棄して、服従するように洗脳されていきます。
親は、全くそれを意識していません。それが「当たり前」のことだと思っているのです。子が、心を痛めていることに気づきません。気づける親は、そうまだ多くないと私は思います。(子の不登校などの出来事を通して、自分を振り返り、軌道修正できている人を見ると、とても嬉しくなります。子は鏡なので、親が変われば、子に伝わり、子も良い方向に変わるのです。)
子の成長に必要な「自分の意思だけ」で、物事を決め、体験することを、親が無意識に奪っています。親の意向に添った決定は、本人の心を深く挫きます。「本当のあなた」が心の中で悲鳴を上げています。心の奥底は親への恨み、つらみで一杯です。
「自分の意思だけ」で決められないと、子はだんだん無気力になっていきます。「どうせ、自分の意見を言っても、聞いてくれない」と悟り、自分の意見を言うことさえ、次第にしなくなります。過干渉の子どもが、無気力で覇気がなく、過緊張な状態にあるのは、全て自分の存在意義が、親の気持ちを満足させる為だけだからです。
常に周り(主に親や先生など)の目を気にして、周りの望む、「優等生」という役割を演じるのです。心の中は辛くてたまりません。なのに、誰にも打ち明けることさえできません。何が原因で苦しいのか、さえわからない子もいます。まだまだ、過干渉、共依存の実態を知る人が少ないです。
私はやっと、本来の「自分の意思だけ」で選択し、行動できるようになりつつあります。どんなに小さなことでも、自分だけで決められる喜びを今、味わっています。
できるかな、やれるかなと、不安になりながらも、それでも実行に移して、体験できた時、心の底から、生きている喜びを体感します。自分の心が、歓喜に満ち溢れるのです。生きている実感を得るのです。身体の全細胞が活性化します。
こんな体験をひとりでも多くの人ができるようになってほしい。そうすれば日本には、輝いた魂が沢山、蘇るでしょう。ひとりひとりが豊かで、無限の源泉なのです。それは、ただ塞がれてしまっているだけなのです。