母と不健全な関係を40年もの長い間、続けた私。誰にも言えない苦しみを抱えながら、今も私と同じように苦しんでいるあなたに伝えたい。あなたの苦しみは、何も間違っていないよ、と。
母という、娘にとって(息子にとってもそう)とても大好きな存在。産まれ落ちて、一番最初に頼りにして、生きるモデルにする存在です。その後の人生を展開していく、土台となる重要な存在です。
一番初めに、人生とは何かを教えてくれる、その人自身が、悲しくも機能不全家族で育ってしまった人であった場合は、その不健全な人生の歩み方を、同じように、無意識という領域を介して、子どもはダウンロードしてしまいます。
それが、人生の基盤になるから大変です。無意識に何十年と続けてきた、心の在り方を、根本から見直すという作業は、既にある家を一度、ほとんど解体して、新しく作り直すことに似ている気がします。全部とまではいかなくても、人生の根幹となる部分を入れ替える作業は、とても大変なものです。
そして、作り直すには、今までに心に蓄積したものを直視し、感じないようにしてきた感情達と向き合い解放して、心の中をクリアにしてからでないと、新しいものは浸透していきません。
親子という、かけがえのない特別なつながりが、実は試練を生み出している。機能不全家族に育った人達は、人生の前半にとても大きな、超えるべき試練を最初に手にしています。
ですが、どうかその大きな試練に負けないでほしい。あなたはその試練に屈して、なす術もないまま、人生をそれで終わらせる為だけに生まれてきたのではない。私はそう思います。
それを乗り越えて、その乗り越えたもの以上に素晴らしいものを手にする為に、より自由になる為に、その経験を先に選んだと私も含めて、そう解釈しています。
母という存在は、とても大きかった。大好きだった。だからこそ、母の要求に応え続けた。でも、皮肉なことに応え続ければ続けるほど、そのハードルはどんどん大きくなっていき、いつまでも、「まだ足りない。もっと頑張り続けなければならない」になっていきます。
これは、無意識のパワーバランスなので、お母さん自身の顕在意識では、そんなつもりは全くありません。でも、潜在意識下では、娘に「もっと、もっとちょうだい。もっと私に与えて」と終わりなく要求し続けます。
やがて、あなた自身が潰されていきます。これは、本来の健全な母娘関係ではありません。その終わることのない、苦しいゲームは、させている側から、降りるしかないのです。
母が、私に求めた理想の娘像は、次のようなものでした(これが、私の心の中に、信念=思い込み、となっていました)
・娘が、仕事を辞める時は、結婚する時だけ
・娘は、結婚してもいつまでも、母と仲良くするもの
・娘は、母のそばにいることが一番幸せ
・娘は、私の分身(だから、なんでも分かり合える)
・親の言うことを聞いていれば、子どもは幸せ
・母と娘の関係は、永遠不滅で、いつまでも仲良しのまま
・娘は、私の思いをなんでも受け止める(→感情のはけ口、いわゆるゴミ箱役)
・娘だけは、私を一番に理解してくれる
・娘は、私に何でも与えてくれる。心理的な渇望を埋めてくれる存在
・娘は、いつ何時も私を頼りにし、私を神のように崇め信頼する
(→自分の意見を言えない。従うだけ)
・娘は、私の前では何もできない小さな存在
(だから私が必要。そのことにより、母としての自己重要感を得る)
・娘は、私が娘の為にしてあげることは何でも喜ぶ
・娘は、自分の夫より誰より私のことが一番大好きだと思っている
…などなど。数え上げたらきりがない位出てきます。これらの母の要求は、全部、私にとっては、「そうしなければならない」という呪縛になっていました。
私の自由意志がそこには全くないのです。回復するにつれて、それらの拘束が解けていきました。
本当の私は、
・仕事はいつでも、自分が好きな時に辞められる(私だけの意思で決定できる)
・母と仲良くするかどうかは、私が決めること
・娘であっても、母のそばにいなくていい
(好きな場所に行き、好きなことをいつでもしていい)
・私は母の分身ではなく、別の人格を持ったひとりの女性
・親の意見に従うだけなのは、自分の心を殺すこと
(選択、決定時に、親の意見を聞く必要はない。自分の責任で自由に決める)
・母と常に仲良くしている必要はない
・私は、母のカウンセラーではない。母の愚痴を受け止めてあげる必要はない。
・私は、「母の理解者」という役割を、しなくていい。
・母の心の悲しみを、私が埋めることはできない(それは母自身が向き合う問題)
・私は、母を頼りにする必要はなく、自分の意思で生きていくことが出来る。
・私は、小さな、何もできない存在ではない。ひとりの立派な自立した大人の女性
・母が私の為にとする事は自分の為。嫌なことは断っていいし、喜ばなくていい。
(回復してきてから、↑の事例で、勇気を振り絞って、はっきり断ったが、それでも強引に「してあげたいの!」と言って聞かなかった。もはや高齢の母には通用しなかった。こうやって、子は無気力になっていく。40年という歳月の凄さを知った…やはり筋金入りの母…)
・私にとって一番大切な存在は、愛する夫だ(家族と優劣をつける存在ではない)
…に、変わっていきました。
「私は人より下の存在だ。私は人に受け入れられない。迷惑な存在」も入っていましたが、今は「私は素晴らしい存在で、誰とでも対等だ。だから、自分の意見を言っていい」に変わりました。
また、回復ステップ①の段階の時、カウンセラーさんから「私は人を笑顔にできる女性です」というアファメーションを唱える提案をもらいましたが、その時はまだ、抵抗があり、しませんでした。
でも今なら、すんなりやれそうな気がしてきたから「私はいるだけで人を癒す存在。私は人を笑顔にできる女性です」のアファメーションをして、自分がどんな風に変わっていくか、実験中です。