私は、私の生きた環境、人生の軌跡をブログに公開することで、同じ境遇に苦しむ人の、回復へと進む道標となり、本来の素晴らしいあなたを取り戻してほしい、そんな思いで、日々の思いや出来事を綴っています。

 

 大人になってからもなお、苦しんでいる人はもちろんのこと、まだ親から経済的な自立ができない人達でも、お金を払うことなく読めるブログという存在が、あなたの心に寄り添い、理解を促し、また明るい希望を持たせる、そんな立ち位置でありたいと思っています。

 

 某サイトの質問に、上記タイトルのように返信していた人を偶然見つけたことがあります。「共依存」という現象に悩みつつも、その悩みにアドバイスをくれた人達に返した、そのお返事を見て、私は、とても心が苦しくなりました。

 

 「母娘共依存」という現象の、まさに核心を突くこの言葉が、この問題の根深さを如実に語ってくれています。母との間で共依存に陥る人達は、とても素直で純粋で、才能豊かな人が多いように私は感じます。ですが、その素直さ、純粋さゆえに、問題のさらなる深刻化を招いていることも事実です。

 

 子どもはみんな、親のことが大好きです。親のことを真の意味で嫌いだという人は、おそらくいないでしょう。まれに、どうにも親と昔から相性が悪い、そんな人もいるとは思いますが、基本的にみな、親のことが大好きなのです。だからこそ、自分が苦しくても、親の意向に添おうと頑張り続けます。

 

 自分の心の奥から感じる、正体不明の苦しさ、生きづらさ、自己否定感、無気力などは、あなたの魂からの心の叫びです。本当に、子どものことを思い、尊重できる親であれば、あなたを苦しめるはずはないのです。例え、一時的に苦しめることがあっても、何かの出来事を通して、自分を見つめ直し、軌道修正してくれます。

 

 ですが、毒親と呼ばれる人達は、基本的に自分を振り返り、改心することは皆無です。悲しい事実ではありますが、受け入れるしかありません。その事実を受け入れた上で、自分が自分らしく生きていくためには、どうすればいいか?ということに意識を持って行って欲しいのです。

 

 あなたの人生も有限なのです。「共依存」で一生を終えるのも、ひとつの人生と言えます。でも、あなたが心から苦しくてたまらない、この状態をどうにかしたいと思うならば、あなたらしく生きる道もまた用意されているのです。

 

 自分の今の現在地を知り、「共依存」だとわかったならば、そこから、どうするか選択することができます。

 

 まずは、「共依存」という状態が、どういうものか知ってほしい。どんな問題を今抱えているか、冷静に知ってほしいと私は思います。

 

 私は、回復への道へと歩みだしてから、自分が共依存中に思っていたことは、本心ではなかった、ということが沢山あります。自分があたかも、そう思って選択していたことが、実は、母の意向に添うように、無意識に巧妙に選択していた、いわゆる錯覚と呼ばれる現象にも気づきました。

 

 あなたが選んだ服は、本当にあなたが欲しいものでしたか?誰かが褒めてくれた色だから、とかないですか?私には、そんなことがたくさんありました。共依存状態を抜けて見えてきた、冷静な事実です。

 

 共依存状態というのは、洗脳と同じだと私は思います。「洗脳」というと、一昔前に起きた、ある宗教の事件で脚光を浴びましたが、「洗脳」は、良い方向に使えば、良い洗脳となり、悪い方向に使えば、宗教の事件などに繋がりうるというだけです。

 

 人は、一緒に暮らす人の影響をとても強く受けます。同じ言葉を何度も何度も聞けば、最初は違和感があったり、拒否感があったりしても、繰り返し聞くうちに、自分の脳に植え付けられ、自分の考えとしていきます。

 

 CMや広告も洗脳の一種です。繰り返し流すことの意味は、このような脳の仕組みを活用したものです。何度も見聞きするうちに、CMで流れる商品が、良いもののように感じ、購買へと促しているのです。ですが、例えCMによって、良いイメージを植え付けられても、実際に、その商品を使ってみたら全然合わなかった、良くなかったということも多いでしょう。良いイメージとその商品自体の良し悪しは、何の関係もないのです。

 

 だから、私は基本的にCMや広告の類は見ません。自分が使ってみて、本当に良いと思ったものだけを使うように心がけています。自分の感覚が一番大切です。

 

 口コミも同様です。その人にとっては良かったものだとしても、自分もそうだとは限らない。どちらかというと、低評価のコメントのエピソードを見て、自分にとってのNGがないかを確認します。また自分が満足する条件(マイルール)に合致したら、実際に試します。

 

 話が逸れましたが、「お母さんは悪くない。お母さんを悪く言わないで。わたしがどこかおかしいの。」それは間違いです。あなたはどこもおかしくありません。

 

 大好きなお母さんだからこそ、信じたくない。私もそうでした。でも、今は、親といえども、親である前に、ひとりの未熟な人間なのだと、冷静に一歩引いた目で見れるようになりました。

 

 毒親になりたくてなったわけではなかった母。悲しい背景があってのことです。ですが母の、心の悲しみを私が癒すことはできません。自分で癒さないと、決して癒されることはないのです。

 

 母は満たされない心を、娘によって一時的に癒してもらおうと、依存しているだけなのです。依存する人の心は、どんなに周りから与えても、すぐに枯渇します。永遠に求め続けるだけなのです。

 

 母のことは、今でも大好きだし、感謝しています。ですが、母の犠牲になり続ける人生は辞めた、それだけです。

 

 母が苦労して産んでくれた、大切な命。それを輝かせることこそが、一番の親孝行なのではないでしょうか。

 

 母の人生を生きるあなたは、命を終える時、満足した気分で、あの世に旅立てますか?心の奥底には、母への恨み、つらみがいっぱいです。その感情をあの世まで持っていきたいですか?

 

 私は、母に産んでもらったお陰で、人生を謳歌し尽くして、思い残すことは何もない位楽しんだ!やりたいことはやり尽くした!母には良い学びをもらって感謝している、そう思いながら、魂へと還りたいと思うのです。

 

 もし、「母娘共依存」であなたが悩んでいるならば、どのようにして、あなたのお母さんが、今現在のお母さんになったか、ちょっと振り返ってみてください。

 

 お母さんの幼少期の話を聞く機会はあると思います。親とはどのような関係だったか、どんな子ども時代を生きたか、ぜひ聞いてみてください。見えてくるものがあると思います。

 

 冷静に、「お母さん」という人を、分析してみてほしいのです。