自分の心を内観することなく、毎日を無意識に生きている人達は大勢いる。でも、生きている実感が持てなくても、何かを変えたいと思わない人は、引き続き、そのままの人生を過ごしていく。ここで、自分らしい生き方って何だろうと考え始める人は、自分の心の奥深くにあるものへと遅かれ早かれ、対話を始めるようになる。
巷でよく、人生を決めるのは、心の97%を占める潜在意識だと言われているけれど、自分で普段意識していない領域を探索し始めるのは、簡単なことではない。それができるようになる人達は、何か、誰かの一言だったり、きっかけがあると思う。私も、第三者から指摘されるまで、自分が洗脳されていたこと、支配下に置かれていたことなど、全く気付いていなかった。生きづらい人生をただ、なす術なく生きていくのだと、大半を諦めていた。
だからといって、私は洗脳に気づくまで、何もしなかったわけではなかった。心の奥から感じる叫びのようなもの、「人生を変えたい」という思いは昔から強かった。どうしてこんなに上手くいかないのか?同じ同級生でも、楽しそうに毎日を生きている人もいる。自分とその人は何が違うのか?人に否定されても、びくともしない自分に対する自信を持っている人もいる。そんな人と自分は何が違うのか?それは、小さい頃からの私の人生に対する疑問だった。
学生の頃から、沢山の本を読むようになった。エッセイや自己啓発系が8割強だった。本に習って、いろんなこともした。高校生の時、ワイズ博士の「前世療法」も読んだ。なぜかわからないけれど、こんなこともあるんだなと、すんなり腑に落ちた。アファーメーション、プリンセスダイヤリー、でも、どれも一時的にしか効かない。
人生を変えるという、プログラムにもやや大金を払ってやってみた。十数枚のCDを聞きながら、毎日、先導者からメールが来て、響いたところなどを返信する。でも、知識を蓄えても、それを行動へと、実体験へと変えていくことが出来なかった。
そして、そのグループにも馴染めなかった。今思えば、HSPである私(しかも、その中のHSS型HSP)は、大勢いる場所、人の中にいることは、大量の、目に見えない情報を受け取りすぎて疲弊する。あえて、ここで一般的な人、と表現するが(別に差別的な意味合いではなく、非HSPという位置づけ)、その人達にとっては、刺激しあえる、一緒に学びあえる仲間の中で、交流して絆を深め合うことが、より良い効果をもたらすのであろうが、HSPの私にとっては、それは、真逆の効果を生む割合が多かった。
もちろん、良い刺激も感じたけど、心の負担の方が大きかった。人との健全な境界も持っていない、不適切な信念も持っている、癒すべき感情達が心の中に満タンで、本当の私は悲鳴を上げている状態、そして、共依存という支配下に置かれている環境の元では、変われるはずがなかった。
心の大掃除、浄化をしないと、新しいものは入れることができない。でも、その当時は、そんなことは知りようもなかったから、変われない私に対する失望や、自分を責める思考にも悩まされた。こんなにお金をかけても、変われない…と。
一年位経った時、先導者から、「知っているだけでは、人生は変わらない」というようなニュアンスのようなことを言われた気がする。ずいぶん、昔のことで、記憶がやや曖昧になっているけれど、「この子は、これ以上変わらない」と思ったのだろう。その日を境にメールもなくなった。見限られたと思って悲しかったけれど、心の負担も大きかったから、内心ほっとした。
今振り返ると、あの時の私には、何をやっても無理だった。心の奥深くに蓄積された、深い悲しみと怒りの感情が、あまりにも大きすぎて…。そこを浄化して、癒す作業をすることなしに、いろんなことをやっても、泥の上塗りにしかならない。
アファーメーションや、ビジュアライゼーションも、逆に反発や抵抗が強く出て、より悪化していくのだった。当時は、「毒親」とか「過干渉」「共依存」などの概念も、あまり知られていない時期だった。それでも、あれが私にできる、その時の精いっぱいの事だった。
だからもう、その時の自分を責めることはしない。ただ、そのお金を、自分が喜ぶことに使えていたら、その方が良かったかもしれない。その当時は、自分を喜ばせることに、お金を使うという、自分に対する許可も小さかったから。そのプログラムに投資することが、当時は、私にできる精いっぱいだったのだろうと思う。それほど、人生を変えたかった。
私の親を見ていて思う。毎日を不満に思いながらも、ずっと愚痴を言うことに終始して、自分の心を見つめ直さない。病気という転機がやってきても、現状に嘆くだけ。無意識に生きていると、病気や、息子が大学に行けなくなってしまったこと、などは降ってわいた天災のようにしか感じない。それは、無意識に生きている、ということだ。本当は、神様が与えてくれた、気づきのチャンスなのに。
共依存や過干渉の親は、無意識下で、とても匠に、巧妙に、子を支配する術に長けている。本人も無意識でやっているから、顕在意識下では「良いことをやっている」と、真摯に思い込んでいる。実際は、自分の思い通りにすること、子の罪悪感を刺激することがとても上手だ。私が悪かったかなと思わせる一番効くツボを、的確に突いてくる。
無意識では、人は繋がっているので、過去の私のように、「私の存在は人より下である」とか「私は、人に迷惑をかける存在」「私は、人から大切にされない。粗雑に扱われる、ドアマットのような存在」という信念が入っていると、周りの人は、その通りにしてくる。
過酷すぎる現状だったけれど、自分の心の中の、やむを得ず持ってしまった、前提を変えていくことが大切だ。過酷な現実は、「その前提に気づきなさい。」という、神様からのメッセージである。本当は潜在意識は、良い思い込み、信念を持てば、すごい力を発揮してくれる。
今まで、不適切な信念を持って、辛い体験をしたけれど、これからは、それを少しずつでも反転させていこう。少しずつでも反転していくうちに、素晴らしい出会いも訪れるようになってきた。全部、反転しきったら、どの位素晴らしい世界が待っているだろう。自分の心を自由に、やりたいことを、今までの分まで、たくさんやっていこう、と決意する今日この頃である。