私は、英語を話せるようになりたくて、(ゆくゆくは他の言語もマスターすることが目標)好きな映画で、英語の聞き取り学習をしている。勉強しているといっても、まだ鑑賞しているだけに近いかもしれないが、こんな言い回しをするんだなとか、聞き取れる単語があると、とても嬉しくなる。
好きな映画はあまり多くはないが、なぜか私が好きな作品には、コリン・ファースが多く登場することに、最近気がついた。「高慢と偏見」(小説も良かった!)、「ブリジット・ジョーンズの日記」、「英国王のスピーチ」彼以外の作品だと他にも、「アバウトタイム」~愛おしい時間について~、「ゴースト」~ニューヨークの幻~、「キューティーブロンド」、ニコラス・スパークスの映画などなど。
今一番自分の中でヒット中なのが、「英国王のスピーチ」で、最近放送されたものを見て、たちまち好きになった。この作品は、第二次世界大戦という激動の時代で、エリザベス女王のお父さんが、吃音症を克服する話なので、全体的にあまり明るくはない。しかし私は、クライアント(バーティ)と、それを克服へと導く言語聴覚士(ライオネル)の関係性にとても心が熱くなる。単なる患者と施術者という関係性を超えた友情にとても感動するのだ。
セラピストのライオネルが、治療を始めるにあたって、「対等な関係」と「信頼」を持って治療に臨むことを伝える場面がある。それは、一般的なセラピストとクライアントという関係性を持つ中で、とても大事なことだと思う。「信頼」がお互いにあることは大前提だと思うし、それと同じように「対等な関係」というのも、とても重要なキーワードだ。セラピストとクライアント、医者と患者、教師と生徒、指導者と選手、親と子、などなど、上下関係に陥りやすい状況は、いくらでも存在する。
自分が誰かに教わったり、導いてもらったり、をお願いするという立場の場合、選べるなら、この二つの条件がクリアできる人を選ぶと良いと思う。導き手である前に、その人そのものを人として尊敬、信頼できる相手であるか。そして自分のどんな状況に置いても、上下関係ではなく、横のつながり、対等な立場で接してくれるかどうか。「対等な関係」なら、上から目線でたしなめたり、その人自身を非難したり、拒否したり、従わせたり、ということはないはずだからである。
回復の道に人生のコースを変えてから、4年が経過した。そのスタートから携わってくれたカウンセラーはまさにそんな人だった。今はもう手を離れたけれど、いつも「対等な関係」だったし、この人のようになりたいと、憧れ、尊敬しながらついていった。全か無か思考も持っていたので、一時的に彼女を嫌いになったりした…(深く反省する点)、共依存の人間関係しか知らないので、理想のお母さんのように一体化して、彼女をずいぶん困らせた。境界のこともわからなくて、よく彼女の境界にも侵入した。数えきれないほど、申し訳ないことをたくさんしたけれど、見捨てずに受け止めてくれた。そんな彼女の存在は、ライオネルの姿に重なる。
映画の最後に、戦争スピーチを国民にするシーンがあるが、同じ放送室に入り、穏やかな笑顔とジェスチャーでスピーチをする国王を支えているライオネルの姿が、ジーンとするのである。そんな風に彼女も私に寄り添ってくれた。本当に、私にとって激動の数年間、言い尽くせない感謝の気持ちを込めて、どうもありがとう。