過去の経験や感情と向き合う中で、良い影響を与えてくれた人達も少なからず存在していたことも、改めて発見したりする。

 

 私は共依存がベースの人間関係だったので、家族以外の人との関係も、共依存という形態になった時に、関係が成立する。母と私の関係は、依存者の母が、一方的に私を無意識下に巧みに支配(コントロール)し、逆に私は自分の心を犠牲にして、母を世話し、喜ばせる共依存者という図式だ。

 

 ここで、二人の友を振り返ってみる。一人は、幼馴染の友。彼女はたくましく、いつも私を守ってくれた。私の悩みを聞き、優しく寄り添う。私の暗い幼少期時代に、唯一明かりを灯してくれた存在だった。今となっては、会う機会はないけれど、今でもとても感謝している。でも、関係性が一方的で、彼女から見た私は、ギブアンドギブのような関係性だった。彼女の心の悩みをあまり聞いたことがなかった。今では、彼女にも、とても大きな心の葛藤などがあったことを状況から推測できるが、彼女は私に対しては、あまり悩みを言わなかったように思う。

 

 そして、もう一人、かつての友人で、中学・高校・大学と同じ場所で過ごした友人がいた。大の仲良しかと言われると、そうでもなかったのだろうが、彼女は人に対する熱意があり、世話をすることが上手で、親からだけでなく、周りの友人達からも、心強い、頼りになる存在だった。

 

 三姉弟の中間子として産まれた彼女は、親からの十分な愛情を受けていなかった。ないがしろにされていたわけではなく、初めて生まれた娘と息子の間に挟まれて、親からは一番関心が薄かったのだ。そんな環境にめげることなく、彼女はいつも前向きな姿勢で人生を生きていた。その環境をバネにしてたくましく生きる姿を、当時の私はとても羨ましく思った。彼女と私の関係も、母と私の関係を反転させたような関係だった。共依存がベースの場合、共依存者と依存者のどちらかの立場になることで、関係が成立する。

 

 もしも、これを読んでいる人の中に、共依存で育った人がいるのであれば、親との関係だけでなく、友人、恋人、職場での同僚や上司との関係などの中で、継続できている関係の人との間で、自分がどんな立場になっているか、ちょっと振り返ってみてほしい。思わぬ発見があるのではないかと思う。

 

 無意識にやっていたこととはいえ、共依存者のような立場の彼女にとって、私はとても負担になる重荷な関係だっただろう。でも放っておけない、危なっかしい、世間知らずな私にとても良くしてくれた。当時の彼女に対しても、感謝の言葉しかない。そんな彼女が、私に何げなく言った一言が、今でも鮮明に蘇る。

 

 

 ー心が綺麗すぎる。綺麗すぎる水に、魚は住めないー

 

 

 もっと汚れた俗世間を知っていないと、適度な汚れにも慣れていないと、世の中渡っていけないよ、という意味で言ったのだろうと思う。私への批判の意味ではなく、私を思いやる率直なアドバイスだった、と私は受け取っている(真意はその人にしかわからない)

 

 そんな私を、当時の私は、どこか頼りない、自信のない、弱々しい、力のない、情けない自分のように感じていた。でも、今振り返ると、そうではなかったような気がするのだ。それは、私の誇るべき長所なのだと思えるようになってきた。

 

 どんなに汚れた人の心を見ても、私の心は汚れない。人のあらゆる汚れに侵され、本当の自分が悲鳴を上げても、決して染まることはない。すごく長い時間をかけてでも、元の綺麗な水へと還っていく、綺麗で澄んだ水に戻せる力が私にはあるのだと、最近そう感じるのだ。