共依存で生きた人は、おびただしい数の精神的被害を、始めは親から(そして友人、恋人、職場関係などにも波及して)受けて育ってしまうので、自分の心を虐げられるという体験に対する耐性力が凄まじく強い。強いという表現でもあり、又はただ無意識に、理不尽な状況を鵜呑みにするという表現が近いかもしれない。自分がどう感じるか、ということには焦点を当てられなかったので、親の操り人形状態となっているし、自分の本来の力を無力化させられている。あえて、「させられている」と表現したのは、最初は、言うまでもなく被害者で、選択の余地はなかった。(潜在意識レベルでは、その親を選び、それを乗り越えるという人生を選択しているが…)
いざ共依存状態から抜け出し、回復の道を歩む方向に、人生のコースを変えた場合、自分の心を苦しくさせている、不要な信念に気づいて、より望ましい信念に変えていかないと、共依存中から継続して、「痛みの中を歩き続ける」状態のままだ。
親との共依存関係を継続する上で、本人は気づいていないが、大半の人が無意識に抱いている信念、思い込み、制限の中に、「私は人よりも下の存在である」というのがある。だから、自分の意見や思いより、他人の意見や思いを優先させるし、自分に対する自己肯定感という、心の土台がないので、こうしたい、という希望や思いがあっても、自分で打ち消したり、なかったものにしたりする。
不要な信念に気づいて手放す作業と並行して、自分の心の声を聴き、自分らしい毎日を送る、「練習」が要る。小さな小さな自分の願いに自分が気づいて、叶えてあげると、自分の心が嬉しくなり、生きる活力が少しずつ増えていく。自分にはできない、という心の声が浮かんできても、それは、今までの経験での反復してきた信念だ。その声に負けないで、自分の願いを叶えてあげる。その小さな成功体験が、自己肯定感を少しずつ増やしていく。最初はとても怖い。周りに拒否されるのではないか、と、自分のことなのにびくびくする。また人に理不尽な目に遭わされるのではないかと、ネガティブな妄想が広がる。(これまで、最悪の妄想力ばかり鍛えてきたから、そのことに関しては横綱級)
カウンセリングを受けていた時の私は、外に出れなかった。外に出たいんだけど、出れない。いわゆる「ダブルバインド」に苦しめられた。嫌な店員さんだったら…?とか、遭遇したくないアパートの住人と会ってしまったら…?とか、いろんなことが怖くて怖くて仕方なかった。嫌な店員さんに出遭ったら、その日の私はとても不幸で、被害者で、悲しみと怒りに苛まれるから。それは、今振り返ると、現在の痛みではなく、過去に感じたことの感情の再現なのだけど、その再現は、過去の感情が気づいてほしくて、しっかり感じてほしくて出てきている未完了の感情ということにまで、とても意識が及ばなかった。
その当時の私は、感情の取り扱い方も知らなかった。今、ようやく少しずつ取り組めてきているけれど、まだまだという感じ。あっ!また自分に厳しくする癖が出てきた。訂正、自分の感情に気づいた私、えらい!自分をこうやって褒めて励まして、嬉しくなる心の声掛けをやっていく毎日。今日は、そんな自分の成長を感じる出来事があった。
一か月前、健康診断に行った。検査項目が少ない私は前回は一時間弱で終わった。同じ病院、同じ検査項目、当日の人数もそれほど多くない。にも関わらず、二時間半もかかった。理由は、検査から戻った私の患者ファイルを、「検査中」として離籍中のままにされていたからだ。私は医療機関に勤めた経験があるので、医療機関の苦労も熟知している。でも、今回は明らかに違い、職員も他愛ない雑談をしていたり、事務作業をしていたり…これはさすがにおかしいと思い、恐る恐る声をかけた。そして呼んでもらった…。私の他にも数名忘れられていたようだ。うんざりして更衣室から出てきた私に、看護部長らしき人が声をかけ、申し訳なかった気持ちも言っていたが、半ば言い訳も多々あった。職員がやるべきことをやっていたら、こんな些細なミスなんてもっと簡単に防げるのに…と歯がゆく、悔しく思った。
ただ「理不尽な状況に一方的に耐えてしまう、察してもらうまでー」の癖がまた出てきたのも事実。私は自分の心が、不快サインを送ってきた時、順番を聞いたり、自分が聞きたいことははっきり言うようにする!と、この一件以来、心に固く決めた。極限まで我慢しない!聞きたくなったらいつでもすぐ尋ねること。その場の雰囲気に流されて、言いたいことが言えなかったりも、昔は多かった。そんな私のひとつの対策として、事前に聞きたいことは紙に書いてメモしておき、それを先生や看護師に伝えると決めた。
そして今日とある病院に行って、何の罪悪感を感じることなく、堂々と気が済むまで尋ねたし、待ち時間を自分が少しでも心が軽くできるものに目を向けることもできた。私はもう被害者じゃない。自分で自分のことを救うことが出来るし、自分の思いや意見を言うことができるんだ。それが私にまたひとつ大きな自信を与えてくれたし、成長を感じた。100%じゃなくても、今までの私に比べたら飛躍的な進歩だ!今日は、そんな一日だった。