親の思い通りに生きるということは、本当の自分を封印して、親の期待に応え続けるということだ。親の期待を満たしていけばいくほど、親の子に対する要望はどんどん無意識に高くなっていってしまう。子にとっては、一つ一つが自分の心を殺す、とてつもなく苦しいことなのに、子の心の葛藤や苦悩に気づかない親はかなり多い。親の子に対する要望もまた、無意識に抱いていることが多いからだ。だから、そんな高いハードルを子に強制しているとは顕在意識下では思っていない。
だから、子が限界に達して、不登校になったりするという行為が、最初の親へのサインになることがほとんどだ。中には、親に面と向かって、「私はあなたの操り人形ではない!」とか「親の思い通りにはこれからはしない」「自分のしたいようにする」と意見を言える子もいる。意見が言えるということは、少なからず親が、子の意見を受け止める可能性のある家庭だろうと思う。子は無意識に、自分の思いを受け止めることが出来る親かどうか見極めているので、私のように、その可能性が限りなくゼロに近い家庭では子は、思春期を迎えても目立った反抗期がないことが多い。というか、反抗することそのものができない状態だからだ。親に子の思いを受け止める精神的体力がないので、意見を表明することは、事態が混乱、より悪化するだけとなる。そうなると、その葛藤もまた、子の心の奥底に大きく蓄積されていくことになる。
思春期の反抗期は、大人になるための、なくてはならない大切な通過点だ。親とは違う人格をはっきりと認識し、それを表明することによって、一人の大人として自立していくための儀式なのだから。その時期の衝突や混乱を経験して、親も子もお互いを、独立した一人の人間として受け入れる。それができないということは、親とは違う人格を持った一人の人間として、親が理解しないので今まで通り、親の操縦下に子を置き、子の自立を妨げ続けることになる。
親と子の関係は、ある程度、子が大きくなってきたら、人対人の関係になることが望ましいと、ある人が言っていたことを思い出す。生まれてきた子は、親に最初は全依存状態である。それから徐々に、自分の自我が芽生え、個を少しずつ、いろいろな経験を通して発見し、作り上げていく。そして、反抗期に入り、はっきりと親と子が違う人間であることを、親も子も受け入れ、子は一人の自立した大人へと成長していく。このサイクルが正常に行われている家庭が、どれほどいるのだろうか。
親からの期待に応えない。これができれば早いうちからできる子が、そして家庭が増えてほしい。私のように、親の子に対する要求がエベレストのように高くなってしまっては、それに風穴を開けることすら簡単ではない。そうなる前に、親に残念な思いをしてもらう経験は、子の自立には必要不可欠だ。