私はディズニーの熱狂的なファンではない。しかし、ディズニー映画や子供が最初に読む絵本には、シンプルでわかりやすく、なおかつ核となる、とても大切な教えが込められている。だからこそ、大人でも夢中になってしまう。

 

 「アナと雪の女王」のアナのように、魔力を隠しながら他人軸で生きることに疲れ、ありのままの自分で生きていくことを選択する姿もとても共感したが、私にとって「塔の上のラプンツェル」は心が痛む、複雑な思いと激しい共感を呼び起こす特別な物語だ。

 

 ラプンツェルの原題は「Tangled」で、この言葉には、もつれた、絡まった、という意味がある。「長い髪」と「トラブル」が掛け合わさっている。このことからもわかるように、ラプンツェルの物語は、「支配する親」と「支配される子」の間にある、様々な子の葛藤や混乱、そして自立するには親と対決することが避けられないことをテーマにしている映画である。「高い塔」は親の、壁のように高い価値観の象徴であり、その中で生きる、支配された子の心模様が描かれている。「あなたのため」という言葉は、子を支配する親が無意識に使う、罪悪感を刺激するフレーズである。本当は、「あなたのため」は、子の為ではなく、自分の為でしかない。

 

 ラプンツェルも私も、親から植え付けられた価値観の中で、不満ながらも服従して生きてきた。しかし、そこに「第三者」が登場することで、恐れながらも、外に出ることを実行する。ラプンツェルにとっての「第三者」はフリンであり、私にとっては、母との関係、機能不全家族の異常さを教えてくれたカウンセラーである。洗脳された状態を解く鍵をくれる重要な人物だ。

 

 ラプンツェルの映画の中で、もっとも心に響く場面が二か所ある。ひとつは、塔の外に出た時の、生まれて初めて感じる喜びと、母に対する罪悪感で苦しむことを繰り返す場面だ。身に染みるほど辛さがよくわかり、いたたまれない思いである。しかし、そこでフリンがラプンツェルに話す言葉にとても感動する。

 

「あのさ、ちょっと見てて思ったんだけど、君、自分の心と戦ってるんだね。あまりに過保護な親、許されない旅。でも思いつめることはないさ。ちょっとした反抗。ちょっとした冒険。健全なことだよ。君はちょっと考えすぎてるんだよ、親がそんなに大事か?もちろんお母さんの心は、悲しみで張り裂けるだろう。でも君はやらなきゃならないんだ。」

 

 もうひとつは、真相を知り、ゴーテルにラプンツェルが生まれて初めて意見を言う場面。「生まれてからずっと隠れて生きてきた。私の力を利用しようとする人達から。でも、利用していたのは、あなただった。外が怖いなんて嘘だった。あなたにはもう二度と私の髪の力を使わせない!」ラプンツェルの「髪の力」は、「娘の才能や優しさ」などを指しているのではないか。

 

 ただ私の場合、ラプンツェルのように、面と向かって、これまでの怒りをぶつけられない。私の怒りを受け止めることができないからだ。私が真の想いを口に出せば、被害者意識の塊である母は、こんなに大切に愛してきたのに、なんてひどいこと言うの!と言って泣き崩れて寝込み、心身にダメージを与えるだけなのである。そして永久に私を責め続ける。もっとひどい状態になるだけなのである。これがとても辛いところ。しかし、怒りも悲しみも真実も言えないのは、私に相当な心の葛藤やダメージを与えていることもまた事実である。その辛さを胸に、それを自分の責任、問題として引き受ける。回復への道のりは時として遠いなと思うこともある。でも、少しずつ一歩ずつ進んでいく。

 

 「塔の上のラプンツェル」の映画は、他にも「ダブルバインド」=「二重拘束」の場面をわかりやすく伝えていたり、と響くことだらけの作品である。ラプンツェルのように、ひとりでも多くの人が、自立した自由な人生を歩んでほしい。