「完璧主義がもたらす代償」の後半記事で、助けを求めた恩師の話を書いた。

 

 私にとっては数少ない、貴重で大切な出会いと学びをくれた存在の一人だ。今でも、その先生のことを思うと、胸がとても温かくなる。教師という職業を愛し、情熱に満ち、母校を愛する熱血教師だった。

 

 その先生の姿形、声、表情、雰囲気、全て今でも鮮明に覚えている。唯一心を開けた存在であり、まだ大人になっていない、傷つきやすい思春期の一時期に、居合わせてくれたことに心から感謝している。私の脳内に光り輝く大切な記憶の欠片。まるで宝石のように。

 

 兄が大学へ行けなくなった、一連の出来事を通して、私にはあらたに次の信念が、脳内に深く刻まれた。

      

       ー親に迷惑をかけると、大変なことになるー

       ー親に決して迷惑をかけてはいけないー

       ー私のSOSは発してはいけないー

       ー親の希望に背く、意見や思いは表明してはならないー

       ー親との違いを、私だけの人格を知られてはならないー

 

 この信念を守り通すことで、私の状況はさらに追い込まれていくとは、露知らず。

 

 先生から受けたアドバイスに従い、親は、兄に対して何も言わなかった。しかし、私には、永遠と母は愚痴と批判を言い続けた。お陰で生理が止まった、○○万もお金がかかっているのに…、親に感謝の気持ちもない、迷惑ばかりかけてーその言葉達は、さらに私の心を傷つけた。悲しいという気持ちだけではなく、親という脅威者に対する大きな恐れを抱いた。

 

 私が親と決定的に違うなと思う点がある。

 

 私は起きた出来事に対して、必ず熟考して、いろんな立場からの思いや意見、状況や背景、葛藤を抱えていた期間を検証する。

 

 例えば、私がもし親の立場で、子が不登校になったなら、最初はその事態を受け入れられずに苦しむだろう。それは、親の「学校に行って欲しい」という要望が挫かれた状態だからである。

 

 しかし、必ずどこかの時点で、この子は、いつから心の葛藤を抱えていたのか、何が原因なのか、調べ始めるだろう。視点を変える、ということである。子の立場ではどうか、子の思いはどうか、と。

 

 

 親と子が上下関係である場合、子は自分の思いを表明できない。だからこそ心に貯めていってしまう。親を権威者と恐れている子にとって、自分の苦しさ、辛さは訴えられない。自分の思いを受け止められる親かどうか、子は無意識に理解している。

 

 しかし、その状態には必ず限界がくる。不登校の表明が、親にとっては最初の一打撃かもしれないが、子にとっては、ずいぶん前から苦しみ、葛藤し、親を困らせるとわかっていても、これ以上耐えられない限界点なのである。

 

 その葛藤の期間と入り混じった思いの種類、そして深さについて思いを馳せてほしい。大切だと思うわが子ならば。

 

 

 夕暮れの誰もいない職員室。信頼できる先生の前だけで、大号泣した当時の私に、今の私が語りかけ、抱きしめる。

 

     ーよく頑張ったね、辛かったね、よく耐えたね、もう大丈夫だよー

     ーあの時の行動や思いは、その時にできる最高最善のことだったんだよー

     ー自分を責める必要はない、あなたはよくやったよー

 

 あの時、先生の「大変だったな」と最初に言ってくれた、私を労わる愛情のある言葉が、私の抑えていた涙腺を決壊させた。

 

 過去の私を抱きしめて、そしてその時に心に刻印された、私を苦しめる、誤った、不適切な信念を私はもう手放した。