私は、「毒親」という言葉はあまり好きではなく、できれば使いたくないと日頃思っている。でも、なぜ、「毒」なのか。親が愛情だと思い込んでいるものが、実は、子どもに文字通り、毒を盛っている状態だからなのである。良いことをしていると親は思い込んでいる。でも、それは確かに、子どもを苦しめる毒そのものなのだ。毒の量が多ければ多いほど、事態は深刻になる。早く解毒できれば、さほど大事にはならない。しかし、毒であると、第三者が指摘できる社会的環境がまだ整っていないのが現状で、過酷な環境を生きながら、その状態の異常ささえわからず、今を必死に生きている人達が表面化せず、潜在的にたくさん存在している。

 

 

 ただし、一時的には「毒親」の状態だったとしても、子どもの出来事(例えば、不登校など)を通して、自分を振り返れる親は、真の「毒親」ではないと私は思う。「毒親」であった期間があっただけで、そのような親は、どこかの時点で、気づいて軌道修正ができる経験を人生の中で用意しているようだ。「毒親」と言える対象は、一生、その毒に親自身が気づくことなく、生涯にわたって、子を苦しめ続け、高齢になるにつれ、「猛毒親」へと変貌していく親のことを指す、と私は考える。

 

 

 私は、過干渉、母娘共依存というダブルパンチな機能不全家族だった。大人になっても、自分の家庭は幸せそのもので、私だけがどこかおかしいのだと思っていた。幸せや希望、喜び、生きている実感が全く持てない欠陥人間なのだと思い込んでいた。でも心の異常な苦しさは幼少期から隠せない。そんな私が結婚もできた。でも、幸せなはずなのに、幸せを感じられないのはなぜか?疑問符だらけだった。

 

 

 そんな時、心理に詳しい人が、勇気を振り絞って指摘してくれた。「あなたの育った環境が、あなたを今でも苦しめている」と。この言葉をくれた人に今でも感謝している。その言葉がなければ、私は自分の人生の主導権を取り戻すことも、自分の中に、悲鳴をあげている、抑圧され、蓄積した深く大きな悲しみの存在にさえも気づくことなく、精神を病み、やがては原因もわからないまま、命を落としていただろう。

 

 

 カウンセリングがひと段落した頃、それでも目の前の現実に振り回され、感情が揺れ動くので、スキーマチェックをネットでやってみたら、ほぼ全種類の生きづらさの元になるスキーマを持っていて、愕然とした記事を、以前upしたが、毒親チェックリストなるものも、ある時やってみた。そしたら、過干渉の毒親の特徴も、全て網羅していて、びっくりした。また、ある毒親カウンセラーのブログで、載っていたチェックリストもやってみた。それには、注釈に「ひとつでも当てはまれば、大問題です」と注意書きがあった。全部で15項目あったが、私は、11項目も該当していた…。これが私の現状なんだと、改めて事の大きさを痛感した出来事だった。

 

 

 でも私は、負けない。そんな私でも、今、回復しているのだから。自分にエールを送りながら、命を味わって生きていきたいと思った。悲しい学びを乗り越えてきている私は、喜びの感じ方も、人より何十倍も大きく感じるのだ。