自分に関心を向け、
自分の目を優しい眼差しで見て、
自分のどんな話も否定せず聞いてもらい、
共感、安心できる言葉をかけてもらい、
自分の心に寄り添ってもらうこと。
対話すること。
上下ではなく、横のつながりで、
自分と同じ方向を見てくれること。
自分と対等の立場で、尊重してくれること。
どんなに完璧に用意された食事よりも、
きれいで快適な部屋よりも、
立派な洋服達よりも、
それが一番大切なこと。
ありのままの自分を丸ごと、認めてもらうこと。
そして、心配ではなく、「あなたならできるよ。」と
信頼して、見守ってくれること。
「親」という字のように、揺るがない木のそばに立って、見ていてほしい。
子の一生懸命に生きている姿を。
心配する、という気持ちは一見、子ども思いな感じに受け取れます。
でも、「この子は、大丈夫じゃない」という前提が、頭にあるのです。
心配が高じると、子の経験を親が先回りして、自分が安心したいために、
子をコントロールしようとします。それを、子は、その空気を肌で感じ取ります。
口に出さずとも伝わります。
親の気持ち、不安を察知した子は、優しい子ほど親の思う通りにするようになります。でも、だんだん子は無気力になっていきます。
それでは、大切な、子の成長の場である「経験する機会」が奪われてしまいます。
失敗する経験も、とても大切なのです。失敗の経験がないと、失敗から学ぶ機会も、ありません。
子にとって、自分の意思だけで選択し、経験することが必要不可欠なのです。
親は、勝手に子の選択、経験をする機会、子の人生を取り上げないこと。
自分の心を、客観的に見つめる習慣がない人は、無意識にやり続けます。
これが、致命的なダメージを子に与えます。
無意識のコントロールに気づける人は、まだまだ少ないのが現状です。しかし、
「この子は、絶対に何があっても大丈夫」と思っていれば、見守ることが出来ます。
子を支配せず、子の気持ち、感情、思いを全否定せず、信頼してほしかった…。
一度も本当の意味で信頼されなかった私が、今、親に対して思う気持ちです。