今思えば、私の家庭は、安心できる場所ではなく、会社のようだった。

社長の父、代表取締役の母、平社員の子ども、という構成の組織のようだった。

家庭内に存在するのは、対等な関係性ではなく、上下関係だった。

上司の要求を淡々とこなしていく社員。自分の考えや意見や気持ちを述べることは許されず、食事も出されたものを淡々と食べ、上司(=親)の望むように「優等生」を演じる。

 

 我が家の子どもは、「優等生」を基本的に主軸に演じていた。

私はそれに加えて、学校では時々「いないふり」の二役を併せ持ち、さらに「世話役」、いわば家庭内ソーシャルワーカーや専属のカウンセラー的役割をこなしていた。(母を気に留め、世話をした時だけ、「私」を認めてもらえる、という悲しい形だった)

 

 私の家庭は決して、はた目には厳格で硬直的な家庭には到底見えなかった。一度も命令などされたことはない。親の口癖は「何でも親に頼りなさい。何でも教えてあげるから。親に聞くのが一番」だった。私の両親を知る人達は、「そんなことあるわけない。あんなに子煩悩で優しい両親はいない」と口をそろえて言うだろう。

 

 厳格で硬直的な上下関係は全て、無意識化で暗黙の了解のもと、行われていたからだ。親自身も子どもに、そのような裏メッセージを与えているとは、露ほどにも気づいていなかった。でも、優秀な子ども達は、親に認められる為に、親からの愛情や肯定を得るために、四六時中周りに神経を張り巡らせ緊張し、必死の思いで「優等生」を演じていたのだ。どんなに頑張っても得られることのない愛情を求めて…。

 

 私自身のカウンセリングや、専門書によって、私は子ども時代に失ったものがどれほど大きかったか驚愕した。ネットで、スキーマ(誤った信念)などの診断が簡単に無料でできるが、私は、ほぼほぼ全種類を制覇に近かった。

 

 私が子ども時代に失ったもの。子どもらしく、無邪気にありのままの私でいられなかったこと。

私に関心を持ってもらえず、感情を素直に表現し、それを安心して親に話し、受け入れてもらえなかったことで、自己肯定感を育てられず、感情を軽視され、見捨てられ、常に不安感や慢性的、致命的な喪失を抱えていたこと。情緒的なつながりを持てなかった為に、人への信頼感をもてなくなってしまったこと。私の境界を常に侵入されたことで、境界の混乱が起こり、他者とも適切な境界を設定できず、依存傾向、一体化若しくは、傷つくと、高い壁を築き、孤独を守るしかできなくなったこと。

 

 失ったものに加えて、親にぶつけることができない親への恨み、自己を表現できないことへの深い悲しみ、苦しみで心の中が一杯になり、限界に達して、時に「激怒」という形で現れるしかなかったこと。

 

 

 親は子どもを自分の所有物とみなし、自分と全く同じ考え方をする自分の分身と捉え、子どもの人格を真の意味で尊重することはなかった。私の親は、子どもになんでもやってあげることが、愛情だと思い込んでいた。

それは、子ども自身の意見や考えを否定し、子どもにとって貴重な成長の場である、経験を奪い取っていくことである。

 

 子離れしない親が、子の成長を阻み、自分の望むような子どもであることを無意識化で強く望み、「私の心を満たす子であれ」という、裏メッセージを子どもに与え続けてしまったのである。

 

 それらの過去の喪失を、私は、親しい友人や恋人などに投影し、得られることのなかった愛情を求め、依存・一体化してしまうようになる。でも、その過去の喪失は、他の人によって得られるものではない。おとなになった今、その過去の喪失は、もう決して取り戻すことはできないのだと、しっかり自覚した時、ひとつの区切りが自分の心の中でできた。もう、目の前の人から承認を得ようと不毛な努力をすることは、やめよう、とそう思えた。

 

 そして、今度は、「私」を自分で育て直し、「私」が私の心を満たしていくと決め、子ども時代に身に着けることが出来なかった、よりよく生きていく為の、新しい好ましい信念と、生きる技術を習得していくことを少しずつ練習している所である。