ステップ①で立ち往生していた私は、クラウディアブラックの本に救われました。
本の中に、「喪失に伴う痛みを癒すことは回復には欠かせませんが、次のステップに進むことも同じくらい重要です。そうでないと、あなたはここから動けなくなり、癒しのプロセスはやがて、誰かを責めるプロセスになってしまいます。」
…とありました。まさしく私のことでした。
カウンセリングで、過去の痛みを語ることで、心は少しずつ軽くなり、自分の中にエネルギーが満ちていきます。ですが、人と関わる、ということになると、また以前と同じように、自分を苦しめる思考に悩まされます。
母との濃厚な40年間の共依存関係は、私の心に、子ども時代を生きれなかった悲しみや怒りだけでなく、たくさんの喪失(信頼、親に見捨てられないという安心や安全、自分をありのままに表現すること、安心して感情表現し、肯定してもらうこと、自信、自己肯定感、人格形成、健全な愛情、健全な絆、また健全な人間関係の作り方など)に伴う多くの苦しい思考パターンや誤った信念、また、その環境を生き抜くために、完璧主義、コントロール、0か100か思考(白黒思考、全か無か思考)を習得しました。
母との共依存が、私の人間関係のベースなので、好きな人とは、境界が存在せず、一体化しようとする。そうすると、境界がないために、裏切られ、傷つく。そして、自分を傷つくことから守るために、高い壁を作って閉じこもる。その繰り返しの状態だったんです。そもそも、母に常に境界侵入されていることが当たり前だったので、人にも母と同じような関係を作ろうとします。母の影を他人に見るわけです。その方法しか知らない。健全な人間関係、適正な境界とは何か、ということがわからないからです。
自己の形成ができておらず、しかも親との間で、本来なら得られるであろう、親からの健全な愛情がないために、心は無意識に、子ども時代に得られることができなかった愛情を渇望し、他の人を探して、補填しようとします。
過去が、現在の人間関係にどのような影響を及ぼしているか、自分の自己イメージにどう影響しているかと検証していくと、本当の私は一体どこにあるのか、わからなくなりました。母との関係を他人に再現し、傷つく。思考が私を苦しめる。私が身に着けたものが、現在にも、そのまんま、過去と変わらず影響していることに気づいて、愕然としました。
私の考察と、気づき、回復への道のりはまだまだ続いていきます。