父は安定した職業で勤勉。母は時々パートをする程度の専業主婦。子煩悩な父と美しく綺麗好き、料理上手で完璧主義な母、そして賢く優しい優等生の兄。幼い頃から、戸建てに住み、自分の部屋も与えられ、物質的には恵まれた環境。傍から見たら理想的で幸せ溢れる一家庭。

 

 しかし、私の心の中はいつも不安、怒り、悲しみ、強迫観念、焦り、無気力、無力感、疎外感、居場所がない思いを感じながら生きていました。理由もわからず、ただただ私はなぜだかわからないけど、幸せを感じられない、そんな私が悪いのだと自分を納得させていました。いつも充電切れのような枯渇した生きる力。何のために私は生きているのか?といつも考えていました。

 幼少期、近くの公園では、同い年位の子供達が砂場で時を忘れて楽し気に遊んでいる。親の目を全く気にすることなく、好きなことに没頭して楽しそうな生き生きした笑顔。自分とは何が違うんだろう?と疑問でした。

 

 よくわからないけど、私はずっとこうやって情熱や幸せを感じることなく、面白みもない、無味乾燥したこの不安定な心で、この人生をずっと送っていくのだと、半ばあきらめていました。大人になっても恋愛も上手くいかず、仕事ではどんなに頑張ってもストレスばかり募り、評価さえされない職場環境。何もかもが苦しいことの連続でした。人に嫌われないようにどんなに細心の注意を払っても、事態は悪化していく人間関係。悩むことが職業であるかのように常にいつも悩み事を抱えていました。

 

 そんな私にひとつ目の転機が訪れました。極限に達したストレスで休職。その時に、「私はこの私でいいんだ!」と、この私で、No!という男性にはこちらから願い下げだ!と開き直りました。そしたら、ふたつ目の転機が訪れました。最愛の夫との結婚でした。仕事は一度は復帰したものの、それを機に辞めました。

 

そして3つ目の転機がやってきました。結婚して新天地での生活を始めても、何かと不満ばかりが募る生活。幸せなはずなのに、どうしていつも心は不安定なのか…。

夫との関係はこれ以上ないほど良好なものでした。それなのに心は些細なことで荒れ狂うのです。そんな私に、ある人がこう切り出しました。

 

 「あなたが幸せを感じられないのは、お母さんが原因です」と。

頭が真っ白になりました。世界一信頼し、私を愛してくれる何でも話せる友達のような母。理解できませんでした。でも私は、この言葉をきっかけに自分の奥深くに閉じ込めていたパンドラの箱を開けていくこととなります。

 

 私が、母娘共依存からどのように脱却したか、今どんな風に生きているのか、そのストーリーを綴っていきたいと思い立ち、ブログを開設しました。