―― SHOGEN ――
アフリカンペイントアーティスト
生きることへの喜びと感謝を
「生きるのって、楽しい!」を描く ペンキ画家
ペンキを画材に鮮やかな色彩で描かれる、タンザニアのとある村だけで受け継がれる『ティンガティンガ』。
生と死が近い場所にある中で生まれたからこそ、生きることへの喜びと感謝をいきいきとした動植物を通して描かれています。
単身現地に渡り、村人と一緒に生きながら絵の修行を許された“唯一の外国人”で、帰国後はティンガティンガの『人々を幸せにする絵』という精神を基に“SHOGEN流”の新たな表現で制作を続けています。
『楽しく生きる…』 ということは現代日本においては難しいことですが、 SHOGEN の描く世界の中に “ヒント” を見つけてもらえたら嬉しいです。
タンザニアの小さな村で描かれるティンガティンガというペンキアートに心惹かれ、日本での生活を捨て、なんの伝手もないまま単身アフリカへ・・・
思いがけずに出会った、
一枚の絵が僕の人生を変えた
大手化粧品会社に勤めている中、ふと入った雑貨店でタンザニアアート「ティンガティンガ」を目にし、独特な構図と躍動感溢れる色彩表現に魅了され、自らティンガティンガを描くことを決意する。
即日に退職願いを提出し「ティンガティンガ」の修行をするため、単身アフリカへと渡る
ティンガティンガは見る人を幸せにする絵。
だから僕のアートで世界を幸せに・・・『一生涯を賭けて絵を描き続ける』という覚悟
現地で生活をしながらキャンバスだけなく、お店の看板やウェディングボード、ホテル内の壁画に挑戦するなど、本来のティンガティンガに UedaShogen のテイストを加えた、動物と子供を共存させた作風で独自の表現を追及する。
時代の変化と共に現地のアーティスト達は“商売”として絵を描くようになったが、ティンガティンガ創始者 Edward Saidi Tingatinga がおこなっていた“人々を幸せにする絵”への到達を目指す。
日本に制作の場を移した後は、キャンパスだけにとらわれない多方面での活躍を続けている。
ブンジュ村のような社会を八ヶ岳ネオ縄文に。
「目が真っ茶色の縄文人!」
縄文人の瞳の色は、以前より真っ黒だと思われていたのが、最新の研究では真っ茶色の瞳であることが判明したけど、今や"時の人"であるショーゲンさんは、見事なまでに縄文人の瞳をしていた。
そして、どこか懐かしく、その瞳の奥には"宇宙"があったのだけど、そんな流れからか、ショーゲンさんとの対談は本にもYouTubeにも出てこない宇宙人やUFOの話題となった(笑)
本人のブランディングやイメージもあるので、ここでショーゲンさんの怪しい話は控えておきますが、予想以上に濃すぎる対談となり、これは今の時期に絶対聞いて欲しいと思うテーマのオンパレード。
*驚くほどシンクロする2025年xデーの真相
*もう後戻り出来ない分岐点は◯◯
*ショーゲンさん、そんな方法で◯◯コンタクト!?
*18歳で1度死んで生まれ変わった時から◯◯に??
僕のせいで表に出せないネタばかりですが、このレアな組み合わせのアーカイブ配信は、年内限りの視聴なので、是非ともご覧ください(コメント欄に予約ページあり)。
色々な意味で"時間はない"のだけど、色々な意味で"でも大丈夫"とも言える焦りと安心感が入り混じる転換期。
ブンジュ村は、今でも物質的にも精神的にも縄文のような暮らしをしていると聞くけど、僕らは僕らで、ここ八ヶ岳を起点にブンジュ村の人々に誇れるようなネオ縄文の社会を築き上げていく。
村長はもう、この世を去ったけど、あちらの世界の超強力なサポーターとして、これまで以上にショーゲンさんを導き、日本人の目覚めを加速させてくれている。
思い出すために"忘れた"日本人。
それも"2度と忘れないため"。
生きとし生けるもの、この地球からも"愛され続けた民族"による地球維新の逆転劇が始まる。
この「 講演会の動画 」を購入して観てみました!
今の日本人にとって、ここまで重要なことを教えている人はいないんじゃないだろうか
いや、ショーゲンさんが、
ブンジュ村
の人たちから教わったことだけれど
素晴らしいな
私も、私自身のことを大切に、
愛して…
新しい アート・ブック
の、
「 表紙 」から作っているのですがッ
あと4種類の表紙が必要だ!
ニャンコッ
どれも捨てがたいがナッ
ひとまず印刷してみますわ!
それではまた~!
世界が平和でありますように