「 逝きし世の面影 」
・・・ 「私にとって重要なのは、在りし日のこの国の文明が、
人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意と、
それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」
近代に物された、異邦人による数多の文献を渉猟し、
それからの日本が失ってきたものの意味を、根底から問うた大冊。
1999年度和辻哲郎文化賞受賞。
この本に書かれている、
かつての日本の人々の生きる姿
まだ 「 第二章の走り 」 までしか読んでいませんが、
ステキすぎるので抜粋しておきたいと想います
第二章 「 陽気な人びと 」
1860年、
通商条約締結のため来日したプロシャのオイレンブルク使節団は、
その遠征報告書の中でこう述べている。
「 どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、
外国人などいなくてもよいのかもしれない。 」
1871年に来朝したオーストリアの長老外交官ヒューブナーはいう。
「 ・・・・・・ともかく衆目の一致する点が一つある。
すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、
人々は幸せで満足していたのである。 」
人々の表情に現れているこの幸福感は、
明治10年代になっても記録にとどめられた。
ヘンリー・S・パーマーは1886年の 『 タイムズ 』 紙で、
「 誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、
そして機嫌のよさがありありと現われていて、
その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。
彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、
森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、
絶えず喋り続け、笑いこけている。 」
人びとの表情が 「 みな落着いた満足 」 を示していたと書きとどめているのだ。
「 不機嫌でむっつりとした顔にはひとつとて 」 出会わなかったというが、
これはほとんどの欧米人観察者の眼にとまった当時の人びとの特徴だった。
青年伯爵リュドヴィク・ボーヴォワルはいう。
「 この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。 」
「 日本人ほど愉快になり易い人種は殆どあるまい。
良いにせよ悪いにせよ、
どんな冗談でも笑いこける。
そして子供のように、笑い始めたとなると、
理由もなく笑い続けるのである。 」 - スイス通商調査団長 リンダウ
「 話し合うときには冗談と笑いが興を添える。
日本人は生まれつきそういう気質があるのである。 」
- オイレンブルク使節団 ベルク
1876年来日し、
工部大学校の教師をつとめた英国人ディクソンは、
東京の街頭風景を描写したあとで次のように述べる。
「 ひとつの事実がたちどころに明白になる。
つまり上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。
群衆のあいだでこれほど目につくことはない。
彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。
彼らは生活のきびしい現実に対して、
ヨーロッパ人ほど敏感ではないらしい。
西洋の都会の群衆によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全くみられない。
頭をまるめた老婆からきゃっきゃっと笑っている赤児にいたるまで、
彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。
彼ら老若男女を見ていると、
世の中には悲哀など存在しないかに思われてくる。 」
むろん日本人の生活に悲しみや惨めさが存在しないはずはない。
「 それでも、人びとの愛想のいい物腰ほど、
外国人の心を打ち魅了するものはないという事実は残るのである。 」
「 彼らの無邪気、率直な親切、
むきだしだが不快ではない好奇心、
自分で楽しんだり、
人を楽しませようとする愉快な意志は、
われわれを気持よくした。
一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。
さらに、通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外なく歓待され、
『 おはよう 』 という気持のよい挨拶を受けた。
この挨拶は道で会う人、
野良で働く人、
あるいは村民からたえず受けるものだった。 」
- 『 ヤング・ジャパン 』 著者 ブラック
ボーヴォワルは日本を訪れる前に、
オーストラリア、ジャワ、タイ、中国と歴訪していたのだが、
「 日本はこの旅行全体を通じ、
歩きまわった国の中で一番素晴らしい。 」 と感じた。
その素晴らしい日本の中でも、
「本当の見物」 は美術でも演劇でも自然でもなく、
「 時々刻々の光景、
驚ろくべき奇妙な風習をもつ一民族と接触することとなった最初の数日間の、
街上、田園の光景 」 だと彼は思った。
「 この鳥籠の町のさえずりの中でふざけている道化者の民衆の調子のよさ、
活気、軽妙さ、これは一体何であろう。 」 と、
彼は嘆声をあげている。
日本人の 「 顔つきはいきいきとして愛想よく、
才走った風があり、
これは最初のひと目でぴんと来た。 」
女たちは 「 にこやかで小意気、陽気で桜色。 」
水田の中で魚を追っている村の小娘たちは、
自分の背丈とあまり変らぬ弟を背負って、
異国人に 「 オハイオ 」 と陽気に声をかけてくる。
彼を感動させたのは、
「 例のオハイオやほほえみ 」
「 家族とお茶を飲むように戸口ごとに引きとめる招待や花の贈物 」 だった。
「 住民すべての丁重さと愛想のよさ 」 は筆舌に尽しがたく、
たしかに日本人は、
「 地球上最も礼儀正しい民族 」 だと思わないわけにはいかない。
日本人は 「 いささか子どもっぽいかもしれないが、
親切と純朴、信頼にみちた民族 」 なのだ。
リンダウも長崎近郊の農村での経験をこう述べている。
私は 「 いつも農夫達の素晴しい歓迎を受けたことを決して忘れないだろう。
火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、
直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持って来てくれるのであった。
私が家の中に入るやいなや、
父親は私に腰掛けるように勧め、
母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。
・・・・・・最も大胆な者は私の服の生地を手で触り、
ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、
笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出して行くこともあった。
幾つかの金属製のボタンを与えると・・・・・・
『 大変有り難う 』 と、
皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。
そして跪いて、
可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、
社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、
全く驚いた次第である。
私が遠ざかって行くと、
道のはずれ迄見送ってくれて、
殆んど見えなくなってもまだ、
『 さよなら、またみょうにち 』 と私に叫んでいる、
あの友情の籠った声が聞こえるのであった。 」
「 家の女たちは私が暑がっているのを見てしとやかに扇をとりだし、
まるまる一時間も私を煽いでくれた。
代金を尋ねるといらないと言い、
何も受け取ろうとしなかった。
・・・・・・それだけではなく、
彼女らは一包みのお菓子を差し出し、
主人は扇に自分の名を書いて、
私が受けとるよう言ってきかなかった。
私は英国製のピンをいくつかしか彼らにやれないのが悲しかった。
・・・・・・私は彼らに、
日本のことをおぼえているかぎりあなたたちを忘れることはないと心から告げて、
彼らの親切にひどく心うたれながら出発した。 」 - イザベラ・バード
この本に描かれているのは、
聖人君子の人たちではなく、
俗の中で生き、時に下卑た冗談も口にする、
市井の人々の姿です
それが実にユニークで、
ユーモラスで、心温まり、
そして、人びとを感嘆させ、
生涯、その記憶に残り続けるまでに、
心に響くものを与えさせる
彼等は彼等らしく、
生きていただけなんだと想います
それが、海外から来た人たちの心を打った
私はこの本を通して、
西洋文化を否定しているわけではないですよッ
物質の文明は、
多くのものを、
私たちに与えてくれました
しかしその中で、
埋もれさせてしまった、
大切な〝 日本人としての生き方の原点 〟を、
もう一度、想い出してもらいたいと願っているのです
声高に演説をして、群衆を惹きつけたり、
正義を振りかざしてデモをするような生き方は、
日本人には似合いません
世界のどの民族よりも、
自然の中に〝 美 〟を見出し、
和を尊ぶ、その魂の本質を、
日常の生活の中で現していくことが、
これからの世界の範となり、
地球の目指すべき未来の姿を、
人びとに想い起させるのです
この心は、過去のものではありません
私は、確かに、
現代に生きる日本人の心の中に、
この資質を見出しながら生きている
『 逝きし世の面影 』
第1章 ある文明の幻影
第3章 簡素とゆたかさ
第4章 新和と礼節
第5章 雑多と充溢
第6章 労働と身体
第7章 自由と身分
第8章 裸体と性
第9章 女の位相
第10章 子どもの楽園
第11章 風景とコスモス
第12章 生類とコスモス
第13章 信仰と祭
第14章 心の垣根
第10章の 「 子どもの楽園 」 が珠玉の内容らしいので、
〝 アナスタシアの新刊 〟も出たみたいですし!
折に触れて、
これからも紹介していきたいと想います
世界が平和でありますように