森の生活―ウォールデン―
ヘンリー・D・ソロー 著
佐藤谷重信 訳
講談社 1991年 1566円
ISBN978-4061589612
「何故われわれは、こうも人生をあわただしく、無駄に生きて行くのだろうか?」(一四二頁)。十七世紀の科学革命と十八世紀の産業革命以降、私たちは機械制工場での大量生産や労働力の集中によって効率的で便利な暮らしを手に入れた。伝統的な生活や社会の構造は大きく変化し、大量生産や大量消費による自然破壊や、利潤と効率の追求による労働問題などが社会問題となった。こうした流れの中で、伝統的な暮らしや価値観を見直そうという自然回帰の思想や、自然や生態系を保護しようというエコロジーの思想が生まれた。
ヘンリー・D・ソローはこのエコロジー思想や自然保護運動の先駆者となった十九世紀のアメリカの随筆家である。ソローは物質主義が蔓延する社会の中で、財産や金銭的な豊かさを手に入れるために労働に追われる生活から本当に充実した精神世界を得られるのかと問いかける。ソローは、「死を目前にした時、私が本当の人生を生きたということを発見したいと望んだ」(一三七頁)。そのために「人生に値しないものはすべて放擲し、大胆にわが道を進み、苦労を惜まずに徹底的にきびしい生き方を課し、人生を窮地まで追いつめ、人生を堕ちるところまでおとしてみることだ。」(一三七頁)と考えた。生活のレベルを下げることになっても精神世界を満たしたいと望んだ彼は、最小限の労働で自分の望む生活を送るために、コンコードのウォールデン湖畔の森で自給自足生活を始める。本書はこの二年間と二か月にわたる森での自給自足生活の実践記録である。本書の一章と二章では、彼がウォールデン湖畔に家を建て自活するに至った経緯が述べられている。三章以降では、森での孤独だが静かで充実した精神生活、四季折々の動植物や美しいウォールデン湖、自らの手で畑を耕し食料を収穫して自身を養い生活することにより、生きている充足感に浸る喜びが鮮明に描かれている。
結局、ソローが森の生活で向き合ったのは、“生きること”だった。「快活で、活力にあふれた思想が太陽と共に歩む者にとって、一日はいつも朝である。時計が何時を刻んでも、人々がどのような生活をし、仕事をしようとも問題ではない。」(一三七頁)時間に追われる慌ただしい日々の中では、生きているという実感、生への緊張感が希薄になっていくように感じる。ソローの時代から数世紀経った今でも、忙しく過ごす日々の先には何があるのか、自分は何をしたいのか、考えさせられる一冊である。
いま東大生が「ほんき」に読むべき「ほん」 より
信ずるところに従って生きなさい。そうすれば世界を変えることができます。
夢に向かって自信をもって進み、
思い描いた人生を生きようと努力するなら、
思わぬ成功を手にするだろう。
もし朝も夜も喜びのうちに迎えられ、
花や香り高いハーブのように、生活がよい香りを放ち、
弾みと輝きと活気をもつなら、それこそが人生の成功だ。
すべての自然があなたを祝福するだろう。
あなた自身も、あらゆる瞬間をとらえて自分を祝福するがよい。
あなたの人生をシンプルにすると、宇宙の法則がよりシンプルになります。
孤独は孤独ではなくなり、貧乏は貧乏ではなくなります。
そして弱さが弱さではなくなるのです。
何より大事なことだが、われわれは現在にしか生きられないのだ。
過去を顧み、人生の一瞬たりとも無為に過ごしたことはなかったと言い切れる者は、
最も幸福な人間である。
自分の知識をひけらかしてばかりいたら、
成長にとって必要な自らの無知を自覚することなど、どうしてできるだろうか。
人の人生で最大の悲劇は、生きてはいても、彼の内部で何かが死んでいることだ。
私は人生をあるがままに楽しむ。
たとえ救貧院に住んでいても、楽しい、胸が踊る、輝かしい人生が送れるはずだ。
夕日は富豪の大邸宅からも救貧院の窓からも、輝かしく照り返す。
私はかつて、孤独ほど仲のよい仲間を見出したことがない。
自分自身に満足していない人間に、いったい何ができるっていうんだい?
人生は、自分を見つけるためにあるのではなく、自分を創造するためにある。
だから、思い描く通りの人生を生きなさい。
ヘンリー・D・ソロー ウォールデン 森の生活 より