阿難(あなん)の統一の世界は全く空の世界であった

自己の心を把える何ものもない空の世界と宇宙一杯に満ち充ちて躍動している生命のひびきとが、
薄紙一枚の距てもなく一つになっている世界なのであった

小説 阿難 より

昨日の記事の、
→〝 聖人の生き方
〟← の繋がりで、
〝 阿難尊者
〟の話をしようかなッ
阿難(あなん)はお釈迦様の身の回りの世話をしていた従者で、
十大弟子の一人でありました

幼少の頃からお釈迦様の法話に触れ、
王子の身を捨て出家し、
長年、お釈迦様の従者として法話を聴き続け、
多聞第一と称された人だね





この人が解脱したのは、
お釈迦様が涅槃に入った時で、
お釈迦様の〝


肉体への執着が清められ、
晴れて〝



イエスの十二使徒と同じだねッ







イエスの十二使徒たちも、
なんぢら斯く一時も我と共に目を覚し居ること能はぬかと、
イエスにたしなめられるくらいに、
イエスが在世中は満足には進化してはいませんでした
しかしイエスが〝 昇天
〟し、
後にイエス・キリストの〝 霊身
〟と会った時に、
急速に弟子たちの肉体観念は浄められ、
やっとそこで師が説いてきたことばの真意が理解できたのねッ
どちらも如来の法身、
キリストの霊身、
〝 生命の真の姿
〟を目の当たりにした瞬間、
肉体観念から解脱できたんだねッ
肉体はない、
想いはない、と言われても、
その執着の渦から脱け出すのは、
肉体人間にとっては無理難題のように感じられる
それを己の経験から感じた阿難は、
〝 お釈迦様
〟に一切をお任せして生きることによって、
悟りに入る方法を説いた
最初の〝 他力の教え
〟を広めた人だったんだねッ
それが後に、
親鸞として現れた時に、
阿弥陀仏への全託行になっていったんだね
他力と言うと人任せと勘違いされるけれど、
他力とは、己の想い、感情、考えのすべてを、
一度〝 生命の本質・本心
〟の中に投げ入れ、
清め去った後に現われてくる行為を〝 善し
〟とした教えで、
〝 本心
〟じゃなかなかわからないから、
〝 お釈迦様
〟や〝
阿弥陀仏
〟の光明を柱として、
そこに向かって歩いていくことを目指した方法なんだね
まぁ色々とややっこしく長々と書きましたが、
結局は何が言いたいかっていうと、
神様と〝 同行二人
〟で歩く全託の道が、
一番易しい人間の本質を知る方法、
更に簡単に言うと、
守護霊さんに感謝して生きるのが一番いいってことネッ(●´ω`●)/
結局はいつも言いたいことはそれだけですどうもッ
天使と共に歩む道本当の幸せは、天使と共に創るもの
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