第8話まで進んだ『コードギアス』の感想を書こうと思いきや、またもやネットで気になる記事を発見。毎日新聞社の夕刊の記事にも載っていたが、この問題について検討していこうと思う。


 

教員指導力:保護者も評価へ 教育再生会議が中間報告案
 

 政府の教育再生会議(野依良治座長)が来年1月にまとめる中間報告の原案が27日、明らかになった。教員の指導力を適切に把握するため、保護者も評価に加わり、指導力不足とされた教員には、研修や転任を徹底するのが柱。教育委員会に対する外部評価の検討も盛り込む。29日の再生会議の第3回全体会合に提示される見通し。

 

 山谷えり子首相補佐官は27日午前の同会議第3分科会後の記者会見で、保護者による評価の検討を進める考えを表明。分科会では、週内にまとめる「いじめ問題への緊急提言」についても意見交換した。

 

 教員評価は、政府の規制改革・民間開放推進会議が昨年12月の答申で「児童生徒・保護者による教員評価」の導入を提唱。学校運営協議会制度でも教員の任用に保護者の意見を反映させる制度が実施されている。再生会議は、教員評価を通じて保護者の学校運営への参画も進むとみている。

 

 教育委員会制度については、自治体の首長の下に監査組織を設けるなど、学校現場の問題への対応力を外部から評価する制度の導入を提言する。

 

 また、国が来年度に全児童対象に実施する子どもの居場所作り「放課後子どもプラン」の着実な実施を提言。来年4月に全国的な学力テストが実施されるのを受け、学力の低い学校への支援も盛り込む。

 

毎日新聞 2006年11月27日 11時41分 (最終更新時間 11月27日 12時59分)


 まずはこの記事を読んでいただきたい。今回のブログで私は一つの核心を突こうと思う。それは、今の教育問題において一体どうしてこのようなことになっているのかを、鋭く突く内容であるし、かなりの賛否両論もあろう。しかし、日本の教育がここまで駄目になってしまった原因さえも追究しないで、批判を恐れて、何も書かないようでは、私は自分が目指している『物書き』という職業が薄い紙切れのように思えてしまう。そんなことは私の中では絶対にあってはならない。


 だから、私は書いている。批判、中傷はけっこうだが、言いたくても何も言えない人々にかわって、私は書いていく。


 この記事の一体何が問題点であるかをまずは検討して行きたいと思う。


 真面目に教育問題を考えている読者なら、すぐにわかるはずだが、問題点は『保護者の評価の導入』である。


 なぜこれがいけないのだろうか?


 親が先生を評価することで、教師はもっと子供に対して、積極的に働きかけ、自殺問題、いじめ問題、学力の問題などを解決するのに一層努力してくれる、とてもいいことじゃないか。こう思う方は、どれくらいいるだろうか。


 確かに、これだけ見れば納得させられるようなことが多い。しかし、これは多くの闇を抱えていることにも注目してもらいたい。


 今の教育現場では、昭和の頃と違い、『親』と『教師』、『教師』と『子供』の立場が逆転している。


 先生が子供を叱れば、すぐに親が出てくる。少しでも、暴力を振るえば、親はPTAを通して、教育委員会に訴えかける。教育委員会は、自分たちの責任にしたくないので、教師に厳重に注意する。すると先生は子供に何も言えなくなる。子供は何も言えない先生とわかれば、さらに好き勝手をはじめる。こうした悪循環が今の教育を駄目にした。


 はっきり言おう。今の教育は腐りきっている。そして、それの根本な原因となっているのは、昭和35年以降の教職者たちである。この保護者導入など検討している事態で、責任を誰に押し付けるかの意図が容易に想像できる。これでは先生たちが可哀想であり、悲劇であろう。一生懸命頑張っている先生は、ごく一部の愚かな先生によって、世間からは、教師の堕落だとレッテルを張られる。本当にごく一部である。それをマスコミ関係者はこぞっと取上げて批判する。


 情報の伝達速度の著しい進歩は、私たちに情報による選択を与えたように見える。しかし、与えられた情報が本当に物事の真相を追究しているかは、問われない。ただ、一秒でも早く、情報が伝わればいいのだ。


 話はそれるがこんな話を知っているだろうか。


 ある新聞記者に話によれば、記事の原稿は『二つ以上用意する』という。


 一つ例をあげてみよう。例えば、航空機事故が海外で起こったとする。その事故が大惨事であればあるほど、人々の関心は生存者がいるかどうか、犠牲者の数はどのくらいか、事件の規模はなどに集中する。そして、その事故に日本人が乗っているかどうかも気になる。これは人間として当たり前のことだ。


 新聞記者は、事件が起きてから生存者の確認情報がもたらされているわけではない。いるかどうかはわからない。そこで、二つ記事を用意する。『生存者がいた場合』と、『生存者がいない場合』である。こうすれば、情報が入ってきた瞬間に、記事を変えることができる。これはスポーツなどでも応用されている。野球の延長戦などで、どっちが勝つかわからない。この時は、記事を3つ用意する。勝つか、まけるか、引き分けるかである。これだけならまだいい。だが、実はもっと驚くべきことがある。


 生前の有名人のコメントをどうしてそんなに早く載せることができるか。疑問に思う方もいるだろう。なんのことはない、死ぬ前にコメントをもらっているのだ。家族や友人、関係者からである。それを載せているのだ。一秒でも早く、情報の価値は、その一秒で決定する。これが今の情報化社会である。


 情報速度の発達によって、世界はめまぐるしい変化を遂げている。しかし、それは人間としての道徳を失っていることにも繋がっていることも知って欲しい。テレビやネットにおける情報というのは、一方通行なのだ。何を考え、それをどう捉えるかは、私たちにかかっている。この情報垂れ流し社会において、いっそう、自分たちの眼を養うことが必要なのだと私は感じている。


 教育問題にしても、このことは当てはまる。自分たちの眼を養う。マスコミに踊らされない。また、情報操作が行なわれているのを知らなければならない。世界における真実は、私たちが知っている事実とは違う。それは歴史が証明している。歴史にあるのは、勝った人間が創ったもので構成されている。昔のことは誰にもわからない。知りようがない。改竄などはいくらでもある。


 だいぶ話がそれたが、もとに戻す。


 保護者の評価は、自分の子供が先生を評価することに繋がる。子供が良い先生だといえば、先生の評価は『良い』なのだ。こうなれば、先生は、子供のご機嫌取りをしなければ、転任やら、指導を受けてしまうことになる。先生はますます萎縮してしまうに違いない。なんという愚かな改革をしようとしているのか。これが教育のトップにいる者たちの考えなのだ。なら、先生とはいったいなんなのか。勉強もしない、他の生徒の邪魔をする。そんな子供ももう叱れない。子供のスキンシップも怖くて取れない。いつ親に報告されるかわかったもんじゃない。今、どうして小学校の教師が女性が多いのか、知っている方はどのくらいいるだろうか。簡単なことだ。女性教師のほうが、生徒のうけがいいのだ。男性教師は、暴力、怖いというイメージが付きまとう。余りにも不憫である。


 私は教師という職業があまりにも割に合わないものになっているのをひしひしと感じる。これからは何回にわけて、今の教育が腐りきった原因を追及して行こうと思う。いろんな意見があるだろうが、こういう意見もあることを知って欲しい。