今日は8月30日。社会人の方には関係ないが、学生の皆さんはもう直ぐ夏休みが終わる。主婦の方は、早く夏休みが終わって欲しいと思っているかもしれない。


 夏休みの思い出はできたのだろうか?


 私の過去を振り返ると夏休みの思い出というのはほとんど覚えていない。


 まあ、それはいいとして、青春に関して読んだ詩で、私が一番好きな詩をこれから載せようと思う。


 サンリオから出ている『みんなのたあ坊の賢人訓』中国編に掲載されていて、たまたま立ち読みして、思わず購入したほど引き込まれた詩だった。


 青春 サミュエル・ウルマン 和訳 辻 信太郎


 青春とは 人生のある期間を指すのではなく、精神の在り方を指すのです。


 優れた創造力、たくましい意志、燃えるような情熱、

 

 臆病な弱い心を打ち破る勇気、困難に負けない冒険、

 

 このような在り方を青春というのです。


 人は年齢を積み重ねるだけで老いるのではなく、


 生きていく希望を失った時、初めて老いるのです。


 年月は皮膚にしわを増やすが、生きる情熱をなくすと、

 

 その人の心にしわが増えるのです。


 人は、七十歳であろうと、十六歳であろうと、心に変化を求め続け、


 万物への尊敬の念を抱き、決してへこたれず、


 子供のような探究心と生きる喜びを持ち続ければ、その人は青年です。


 人は信念を持つことによって若々しく、疑惑を抱き続けると老いてしまう


 人は自信を持つことによって若々しく、臆病に生きることによって老いてしまう


 希望を持つ限り若々しく、落胆して生きることによって老いてしまう


 自然の美しさ、神の恵み、人間の勇気の力を偉大なものと考える限り、


 人の若さを失われることはありません。


 悲しみが心を覆い、深い憎しみに心を閉ざしてしまった時に、


 人は老い、やがてかみにすがるしかなくなってしまうのです。


 私はこの詩に深く共感した。そして、この詩に出会ったのも『絆』だと感じた。


 言葉を愛する心。文を愛する心。本を愛する心。詩を愛する心。


 その一つ一つの心が私にこの詩の出会いを提供してくれた。青春とは心の在り方であったのだ。


 今、若者の言葉があまりにも乱れすぎている。絵文字や顔文字を始め、多くの新しい言葉が生み出されている。それも一つの文化なのかもしれない。言葉というものは生き物で流動性があるために、時代と共に変化していくのは当然のことなのだ。


 しかし、言葉の乱れは、国の乱れを意味することも知らなければならない。それが未来を担う若者であるために、この先の日本の行く末はあまりにも嘆かわしい。


 風マリアさんが「未来は若者のものだ」といっていた。


 どんなことをしても、未来は世界が滅びない限りはやってくる。世代を交代する時は必ず来る。今の若者たちはこれから苦しい時代が待っている。それはニュースを見ていれば自ずとわかることだと思う。


 高齢化、福祉、子供の凶暴化、歴史を軽んじる、教育レベルの低下、などなど・・・。


 多くの問題を抱えながら、若者は生きていかなければならない。時代が進むにつれて問題はより複雑に、より高度になってしまう。


 私は歴史を傍観する道を選んだ。様々な出来事に自分の考えはあれど、決してそれを強要しようとも思わない。どう捉えるかは、その人、自身の問題だと思うからだ。


 思考する力は一朝一夕で身につくものではない。私が若いのにどうしてこのような文章を書けるのかと、おもっている方も多いようだが、答えは簡単である。思考の時間が違うのである。


 文章を書くというのは、読むことより何倍もの時間がかかる。その間、ずっと思考しているわけだ。何気ない文章にも、自分の言葉をまとめる力と思考がいる。文を書くのはとても難しい。


 ブログを毎日続けるというのは、毎日、言葉を考えることなのだ。続ける難しさもここにある。


 私のブログはただ物事を知るきっかけに過ぎない。


 そして、私はこの『青春』という詩を紹介するきっかけをつくった。それが誰かにどのような影響を与え、絆となるのか・・・私は楽しみにしている。


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