さよならレフトバンク

坂本龍一、高橋幸宏。

20代でもかなりのめり込んで、わくわくしながら聴いていた。

しかし。

細野晴臣はだめだった。
20代では無理だったということなのか、何なのか。
『Medicine Compilation』を除いては。
YMO再生の頃だったと思う。

ところが30も過ぎた頃、特に『Medicine Compilation』以外でも、
相当にしっくり来るようになった。
突然の出来事のように感じた。

坂本、高橋のような陽的要素は相変わらずに無く、
どれを聴いても細野さんの顔が終始浮かんでしまう。
それに耐えることができるようになってから、
しっくり来るようになったような気がする。

先月、この『文福茶釜』を買った。

誤解をしていた。
ここでの細野さんと、細野さんの創る音楽が、
綺麗に重なってきた。
そして、楽しかった。

そんな“たぬき”な一冊を僕は喜んで読み終えた。
つくづく思う。

これは私たち、国民の側にまったく我慢と覚悟が足りなさ過ぎていると。
50年も続いた老舗を、全くの未経験者である経営者に任せたのは、
間違いなく私たちであって、他の誰でもない。

そう簡単に、そう順調に、事が進むわけはない。
そんなこと、最初から分かっている。
いや、誰もが分かっているべきである。

出だしの1年もまだ満ちていない。
それなのに、この有様である。
このままでは、永遠に安定など訪れる筈がない。

我慢の時間が1年なのか、2年なのか、5年なのかは想像できない、
にしても、あまりに日本人の我慢が足りなさ過ぎだと思う。

政権交代を初めて経験した、ということは初心者に託したことで実現したことではないのか。
この日本においては。

薄々、感じてはいた。
日本人の、この単純さに。

それでもやはり、僕のこの落胆さ加減は尋常ではない。

もちろん、政権にではない。
国民に、だ。
僕の勤める会社の納入業者さんのおじさんが亡くなったことを知る。

しばし唖然とした。

僕がここに勤め始めたのは12年程前。
その時から食料品を卸しているそのおじさんは、
僕は個人的に、納入業者さんのなかで最も好きだった。
この地域特有の、喋り過ぎでは決してなく、
口数は少ないものの、礼儀正しく、紳士的。
僕の担当部署では直接的な関わりはないにしても、
出入りの時の姿勢とか、挨拶などは、
本当に好感触のままでいた。

しかし。
2年程前、体調を崩されて退いていた。
以来、ずっと、今日まで。
ただ、昨秋、退院されて一度だけご挨拶に見えた。

結局、僕にはそれが最期だった。

6年前。
この会社が最大の危機を迎えていたとき。
と云おうか、迎えたその日。

いつものように納入に訪れたそのおじさんは、
半ばパニック状態にあった僕に、
「何かできることがあったら、何でも言ってください」と添えてくれた。
僕は事務所で、危機の対応にあたる最中、
仕事中にも関わらず涙を流してベソをかいていたそのとき、
そのおじさんの言葉に、熱く恐れ入って、陰で号泣したことを強く思い出す。

あたたかい心根の持ち主は、なんで見合っただけの人生を送ることができないのか。
わずか51年の一生を終えてしまった。
日常、悲しくてたまらないことなど、
そうはない。
だけれども、今日は悲しくてしようがない。

どん底の中で聞かせてくれたあたたかい一言は、
僕のなかで一生、響き続けることだろう。

関わりは決して多くはないにしても、
そんな出会いはやさしく、しかし、悲しい。
テレビドラマの究極を走る『龍馬伝』の、
遂に高杉晋作のキャストが発表された。

伊勢谷友介。

完璧と云う他ない、『龍馬伝』の美しいキャスティングの極地のような気がする。
ここまで、出る俳優出る俳優のすべてが僕の好みの、
完全に“おもて面”に位置する人ばかり。
(『天地人』はパーフェクトに“うら面”で埋め尽くされていた)

伊勢谷友介と云えば、即、『白州次郎』に直結してしまう。
スタッフは『龍馬伝』とほぼ同じであったところで、
僕はどこかに彼が配置されると予想と云うか期待を大きくして待っていたのは事実。

そして、高杉晋作。

泣ける。


さて、いよいよ真っ暗な土佐の物語へと突入している。
観ていて辛くもあり、美しくもあり、
武市先生と以蔵の最期をどう描くのか。
楽しみで仕方がない。
「映画館で観るべし!!」と思った久しぶりの映画だったもののやはり、
都合が付かずに見逃していて、
それでもソフトが発売になったので、速攻手元に届き...

なかなか集中して観ることのできる時間がとれずにいる、
そんな1本。

『母なる証明』。

今夜もだめだ。