攘夷決行


ここまで、哀しみ=泣きの表現を相当に押さえてきたであろう龍馬の、
その表情が最高潮に達していた。

そんな今までで最も陰鬱な回。

僕としては収二郎にはほとんど思い入れが無い分、
以蔵の行き詰まり感が、痛く、とても痛く感じられて、
たまらないものがあった。

史実であることだから分かりきったことではあるが、
鱗太郎の元を離れなければ...とか、
鱗太郎に指摘されたように、
龍馬のような奴と深くつきあうようになっていれば...
などと悲しくて仕方が無いようなことさえ思ってしまう。

だめだ。
もう、冷静に龍馬伝を観ることが不可能になってきた。

先週回の清々しさが、余計に鮮やかに甦る。
さよならレフトバンク

昨日、街の本屋で買った1冊。

マイブームとしての宮本常一。
1年ほどになるが、『忘れられた日本人』からはじまって、
『家郷の訓』、『旅の民俗学』など数冊を読んでなお、
その“日本人”が日本人であった頃のイメージが相当に、
僕の興味の針は振れっぱなしでいる。

『忘れられた日本人』については、そう簡単に触れることなどしたくない。

なので。
この写真集は、宮本氏が撮りためた10万枚から選ったものだという。
まさに“忘れられた日本人”が満載なのだ。

僕の記憶にもこの情景は存在しない。
僕の頭にあるのは当然、遡っても昭和50年代がせいぜいであって、
この写真集にはそれよりも10年以上前の30年代のものだ。

...違う。
こうも違うものか。

僕の幼少期にはここにある景色の欠片もない。
無いように思う。

だからこそ、僕はこの本を手にして、
さらには『忘れられた日本人』の記憶を頼りながら見れば、
そこからは、その当時の風と音を想像の中から感じることが楽しくて仕方が無いという体験をしている。

ここには貧しいように見えつつも、何となくと云うしかないような、逞しさが満ちている。

こういう時代を経てこその現在がある、ということを確認すること。
宮本氏の仕事に触れることは、
僕には味わい深いものである。
先月末に焼肉に出掛けて以来の、外食日。

昼は寿司。
夜は焼肉。

1ヶ月ぶりの支出に満足を致しまして、
山へと帰ってきたところ。

満たされて眠い。
海軍をつくろう!

こんなにも清々しい映像は久しく巡り会うことがなかった。

そう。
勝塾で学ぶ、藩の枠、上下関係の枠を取っ払った青年たちが、
例え初心は、異国を撃破して攘夷を遂げることにあったとしても、
その純粋な熱は、この画質と相まって、
実に清々しいものであった。

その初心に不安を憶えた龍馬が、
京の麟太郎を訪ねる。

問われた鱗太郎は、心配はいらない、と。
勝塾で西洋文明を学べば、自然と考えは変わるんだ、と。

その場面が、震えるほどに素敵であった。

また、そこに同席した以蔵と鱗太郎。
いや、佐藤健と武田鉄矢。
僕は個人的感情として、この2ショットは感慨深いものがあった。
あり過ぎた。

ほどなく、収二郎、以蔵、ついには半平太が人生を終えていくのだが、
それとは無関係ではない、龍馬らの志の清々しい今回のようなシーンに、
僕は、ますます震えずにはいられなくなる。

今回の勝塾の映像は、僕にとって大河史上屈指の美しさを誇っていた、
そう思った。
連休から一転、腰砕けのような、
そんな脱力感たっぷりの1日が終わる。