「そこらへんの埼玉」なのがいい

 

小江戸はつかり温泉川越店と志木の舘氷川神社(たてひかわじんじゃ)に行ってきました。

 

まずは小江戸はつかり温泉。ここは川越でもとてつもない郊外にあるので周辺に小江戸の風情などは皆無です。本館前の橋は小江戸風なのでせめてそれで川越っぽさを感じましょう。今日は温泉に入りに来ただけですよ。

 


川越の特権として小江戸を演出することが許される

 

平日日中なので規模のわりに人が少なく、湯船の中で伸び運動をしながら入れました。都心から離れ川越くらいの中核都市周辺であれば日中はあまり混まないのかもしれません。源泉かけ流しのぬる湯が長湯できて負担が少なくじっくり汗もかけて最高です。

 

泉質と湧出量は普通かなと思うので特筆したものは感じられませんが、その分、ぬる湯でじっくり入ることでカバーするのは良いと思いました。もちろん人が少ないことが前提です。30分以上入ったのに全然疲れなかった!リフレッシュに最適ですね。

 

小江戸はつかり温泉 川越店 評価 B

Google口コミ 3.8(1602件)

ナトリウム・塩化物温泉(弱アルカリ性低張性温泉)

湧出量 280ℓ/min

 

出発日時と使用方位

2023年12月6日(水)癸卯年 癸亥月 戊戌日 丁巳時(陰4局) 晴れ

北西 30km~ 車・日帰り

九星方位 (日)九紫 (時)二黒

金函日家 休門◎ 大陰○

時家奇門飛盤(奇門アプリ) 丁丙 驚英 蛇二 馬

所見:工事渋滞ポイントを知っていたので回避してスムーズ、湯船で近くに咳をしているおじいさんがいて少し気になった

 

全体的にスムーズでリラックスできて休門の吉を最大限取れた感じです。金函玉鏡において休門がパワーを発揮する方位は坎宮(北)、兌宮(西)、乾宮(北西)でより効果的となります。吉門がパワーを発揮する方位の旅行は私の場合良好なことが多い。

 

 

庶民名字解放の最前線か、舘氷川神社の修復記念碑

 

時間が十分残っていたので帰路に舘氷川神社(たてひかわ)に寄ってみました。社伝によれば貞観年間(八五九-八七七)に藤原長勝が勧請したようですが、別説では坂上田村麻呂が蝦夷征伐に出かけたおりに武蔵野での賊との戦いの最中、大宮の氷川神社に戦勝祈願をするとこの地に実を鈴なりにした椋の木が見つかり、それを食べた兵士たちは士気を取り戻しついに戦いに勝ったことからその椋の木の近くに社を建てたという話などもある。

 

いくつかの由来が混ざり一つの神社として習合したのかもしれない。

 

 

本殿前には古い灯籠がありますが、そのすぐ後ろには平成に入ってから新しく寄贈された狛犬が設置されてあり古い時代と新しい時代の融合みたいな雰囲気になっています。

 

敷地とつながっている形で小さな武道館もあり、地域の子供達に利用されていました。ただし駐車場は神社と武道館は別らしく、神社の駐車場のほうはわかりずらい。周辺の道路もくねくね入り組んで狭く、道路事情がよくないのですが、生活に身近な当たり前のように存在してきた神社というのはそういうものですね。

 

さて、時を遡ること嘉永六年(1853)のこと。社殿大改修の折に建てられた修復記念碑があります。ここには寄進者の氏名と金額が刻まれていますが、この氏子地域である現志木市、新座市、富士見市あたりに住む住民達の寄進によってこの大改修が行われたことが推測できます。

 

一見どこにでもあるように見える神社でも、なるほどこうやって地域の人たちで長く守り続けてこられて1000年とか1200年経ってますとか、さすがにすごいですね。

 

そして、この碑に記されている寄進者の多くが名字を持っていることから、この碑は江戸時代の一般庶民は名字を持たなかったという通説に大きく風穴を開ける文化財とみなされています(志木市教育委員会)。

 

そんな貴重な文化財がこのようなマイナーな地にあることにちょっと驚きです。江戸時代の庶民は名字があったとしても公称が許されていなかったそうですから、これはその常識を覆す史跡となります。ひょっとしたら庶民の名字解放戦線がこの地で繰り広げられていたのかもしれませんね。

 

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