近くを通りがかったので、等々力不動尊に寄ってみました。この一体は古墳が多く眠っており、世田谷区でありながら自然の残る等々力渓谷もあり、一帯そのものがパワースポットの可能性があります。800年前に興教大師が信心する役行者作の御不動様が夢に現れ、関東に結縁の地があると告げ、それを探し辿り着いたこの地に不動堂を創建したのが始まりといわれます。

 

 

感謝とは・・・水一杯の助け「ああ、有難う。救われた」

 

等々力不動尊の入口に「感謝」という書が貼られていました。お坊さんの書でしょう。等々力渓谷一帯に漂う瑞々しさがそこに表れているかのようです。

 

等々力不動尊

 

お不動さまには請願があります。それは「如影随形」(にょようずいぎょう)。影の形に随うが如くとされています。肉眼では見えないけれど、すぐそばで見守っているというのがお不動さまの働きです。けして甘くはないけれど、いろいろな形で助けてくれているというお陰があります。

 

山門の「感謝」とはきっと、お不動さまの助けへの感謝の表明に他なりません。お不動さまの様々な助け、それが救いに変わるとき、そこには必ず感謝が出てきます。喉が渇いてつらいときにさっと出てくる水、それがお不動さまの助けかもしれません。マラソンランナーが走っている時に水を差し出される場面がありますが、精進して己と戦っている人には随所で水や声援の形で助けがあるものです。

 

この書はただ感謝と書いてあるだけですが、お寺に詣る人々への救いの現れと見てよいわけです。

 

 

貪・瞋・痴を燃やすお不動さまの炎

 

人々は何から救われるのか?煩悩の苦しみからです。煩悩とはおもに貪・瞋・痴のことと相場が決まっています。この三毒をお不動さまの炎の中に入れて燃やしてしまいましょうというのが不動信仰です。

 

煩悩を燃やしてしまえホトトギス!と言ったかはわかりませんが織田信長は万松寺の不動明王を信仰しており、あるとき近江国で鉄砲の弾を至近距離から受けたものの、それが万松寺の和尚から貰い受けていた懐中の干し柿に当たったためにかすり傷ですんだという「身代不動明王」「身代わり餅」の逸話があります。天下統一の野望をお不動さまも応援していたかもしれないですね。

 

比叡山の焼き討ちや本願寺勢力との戦いをしている信長が不動信仰をしていたのは意外なエピソードですが、信長が戦っていたのはあくまで武装勢力と合体した宗教団体であって、宗教弾圧のためではなかった模様。

 

話を戻すと、等々力不動尊の境内に入ると秋晴れということもありましたが、清涼な雰囲気に溢れていて聖地という感じがしました。風に木の葉がキラキラ輝く感じが良いです。三毒を燃やすために不動明王、いいね。

 

等々力不動尊

 

教材:読むだけで不動明王から力をもらえる本 羽田守快 大法輪閣