キューバのヒップホップのお話 | SOUND HOUSE

SOUND HOUSE

楽器、音響機器、ヘッドホン・イヤホン、照明・ステージ機材をどこよりも【激安特価】でご提供するサウンドハウスのオフィシャルブログです。

新入荷商品や、音楽関連のニュースをお届けしています。



こんにちは!新人の小林です。前回の「キューバ音楽について」に続いて、今回はキューバでヒップホップが流行るまで、それはそれは大変だったというお話です。そもそもヒップホップってどんなイメージでしょう?だいたいシールつきのキャップをかぶって、ダボダボの服を着て、Y O !って感じですかね。 ヒップホップは1970年代にニューヨークのアフリカ系アメリカ人中心のコミュニティから生まれた文化の総称で、ブレイクダンス、DJ、グラフィティ、そしてラップ要素のことを言うそうです。グラフィティってあれです、コンクリートの塀やシャッターなどに見られる落書きです。
ではキューバではどうなのかというと、前回もちょこっと書いた通り、経済的な理由からDJ用のターンテーブルなど高価な製品は、あまり流通していないです。主にブレイクダンスとラップが1980年代から若者の間に広まっていきました。この頃、もちろんアメリカとの国交は途絶えていたのですが、何とか電波を拾ってアメリカのラジオを聴いたり、メキシコ経由で情報が入ってきたりしていたらしいです。 そしてキューバでヒップホップ(アメリカ発祥の音楽)が流行ると、「そんな資本主義アメリカの音楽なんてダメだ! (`・3・´)ノ」みたいなことをキューバ政府が言うわけです。当初、ヒップホップアーティストは政府から冷遇されていたようですが、若者が新しいジャンルの音楽に熱狂しているのに、お上にダメと言われて、「ハイそうですか」とはならないですよね。1995年には「ハバナ・ヒップホップ」というライブが行われ、その後も毎年開催され、キューバ国内にヒップホップ人気が広まっていきました。それに伴い、1999年に文科大臣アベル・プリエトが「ロックとラップに市民権を与える時期にある。」 という発言をし、それ以来ラッパーの活動は積極的に政府から奨励されるようになり、2002年にはキューバ文化省が下部組織としてキューバ・ラップ・エージェンシーを設立。2003年にはヒップホップ雑誌も創刊され、ラジオ局でもラップのプログラムが組まれ、ラップは急速にキューバ政府公認の音楽となって、「ラッパー」という職業が誕生しました。
一つの音楽ジャンルが広まるまでに、なんだかものすごいことになっています。
政府がラップに寛容になったひとつの要因として、Orishas(オリーシャス)というグループが海外で成功したことが挙げられます。彼らはキューバで活動していましたが、フランスのレコード会社にスカウトされてフランスに渡ったのち、超ブレイク。その武勇伝がキューバ国内に伝わり、現在でもキューバ国内外で高い人気を誇っています。 そんなOrishas、気になった方は是非、検索してみてください!

【営業部 小林】