TI(ターゲットとなった個人)を援助されてきた心理カウンセラーのキャシーメドー氏によると、人類の歴史における善と悪の戦いは結果的に善が勝つのだそうです。

 

人を痛みつける人に比べて、人を助けたり人のためになる行動をする人の方が長生きするそうです。人を助けたり良い行動をとると、脳内にセロトニンが分泌されて幸せを感じます。良い行動をとった人だけではなく、その行為を知った周りの人々にも良い効果が及びます。白血球の数が増えて免疫機能が上がります。ちなみに統計的にサイコパスは事故に遭う確率が高いようです。善人と悪人は健康面で差が現れるのです。キャシーさんは人類の歩みではそのようにして善人が生き延びてきたのだとおっしゃっています。

 

それでは、善と悪とは言葉を変えると何と説明できるのでしょうか。私にきちんと説明する力はありませんががんばってみます。起源をたどることから始めましょう。生物は自然環境で同じ種の内で交配し個体を再生産します。中でも人は同族集団から共同体を築きます。共同体を守る行為を善、破壊につながる行為を悪と呼ぶことが出来ます。さらに本来生命を傷つけることに対する嫌悪感があって悪の意識の起源がそこにあるように思えます。同様に生命を守って慈しむ行為に対して幸せを感じる本能があってそこに善の起源をたどることが出来るでしょう。また男女の違いが見られます。善悪の感覚は、男性は公共的な場面で、女性は自然的な場面でより強く働く傾向があります。

 

私は、善悪の認知は社会のメンバーが社会を営む上で必要な、古代から人間の脳に備わっている機能だと考えます。本来生物は自然環境で種としてグループを形成します。種内で交配し外敵を含む環境で協力ができ、物事を創造をして社会的な関係が発達することが出来るグループが栄えて生き残ってきたのではないでしょうか。高等な生物の進化には社会的能力の進化が伴います。

 

人の社会でも、公共の資産を他のものが盗み取ったり、他者の生活や命を破壊する行為は悪と認識されます。善の欲求は人間の本能なのだと思います。対立は生命の運動における進歩のための大きな契機となりますが、争いとなり生命を損なってしまっては本末転倒です。そこが善悪の分かれ目です。人間の個人と社会は生命体がもともと有する個体と種の2つの側面と考えられます。生物は進化の過程で社会性を有する種が現れます。個人をおろそかのままにする社会では、いずれ社会全体に疎かにされたメンバーが広がって没落するのでしょう。正常な社会は個人を守ります。逆に正当な社会を傷つけることは、社会に恩恵を受ける個人全員にとって損害となりますので、個人は帰属する社会を守ろうと努めます。

 

そのようなことから、生命活動に必要なこととして善悪の認知が人間に本来そなわっていて、経験を通じて共通の習慣ができて善を実践していきます。もし人々が社会を作らず社会に参加しなければ、個体を超えた生命の継承は厳しくなります。少なくとも人間らしい発展は望めません。

 

社会が豊かになると、自由な個人と社会が現れます。善悪を自ら判断し行動することが自由の実現になります。しかし、キャシーさんが述べていますが、社会問題を発言したり、環境を守るために行動を起こす人々がこの犯罪のターゲットになりやすいのです。腐敗と暗黒の経済は、あらゆる手立てを講じて余計なことをするターゲットを抑え込みます。豊富な資金を背景にしてテクノロジー&いやがらせ犯罪に用いる武器を開発し実行組織を張り巡らせております。

 

しかし、結局はどんなに武器が発達しても、被害者を物理的に圧倒しても、やっぱり善が悪に勝つのではないでしょうか。そんな極悪をやっている人間達はしまいには行き詰ります。もし私たちの社会が加害者の存在を許したり加害組織を利用するならば、その社会は没落の運命をたどるでしょう。テクノロジー&いやがらせ犯罪は腐敗社会しか寄生できません。まっとうな社会に生まれ変われば、いよいよこの犯罪を根絶するチャンスがやって来るのです。

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

参考文献 

Surviving and Thriving as a Targeted individual / Cathy Meadows

(TIの方へ、前に向かって生き抜く術 / キャシーメドー)