いつも誰かと行ったり、友達と語ることのほうが、面白いので、
つい、その時間を優先するのですが、
久しぶりに季節も変わることだし、服や下着や靴が欲しいな~と思っていたので、
前回、ふら~と博多駅ビルは見たんですが、
オサレ~な店はたくさんあるんだけど、
やっぱり一流って感じで、ちょっと高めだったので、
悩んでいました。
なので、昨日は、マリノアまで足をのばし、
一人でプラプラ~と気になる服があると店に入り、
とりあえず、かなり久しぶりなので、マリノアを巡回して、
最後にチョイスしたモノのある店へ行き、
思う存分、買い物をしました~

いや~久しぶりに満足

こんなご時勢ですが、活発に活動していきましょう

さて、昨日の行きと帰りにちょっと前に買っていた
村上 和雄さんのサムシング・グレートを読み終えました。
- サムシング・グレート―大自然の見えざる力 (サンマーク文庫)/村上 和雄
- ¥610
- Amazon.co.jp
本からの抜粋ですが、かなり、印象的だった言葉を紹介します。
私たちが、思わぬ不幸とかいっているのは、私たちの視野が狭く、
現世(この世)のことしかわからぬからではないだろうか。人間は、
体と心からできていると一般にいわれているが、そのほかに、通常ほとんど意識
されない精神の深部に、魂と呼ばれるものがある。これは現世一代限りでなく、
過去・現在・未来を貫く時間の中で、永遠に生き通しであると聞いている
(人間の死は古着を脱ぎ捨てるようなもので、また新しい着物を借りて出直してくると
教えられている)が、このことが本当に納得されれば、私たちの視点はがらりと変わってくる。
こうした認識があれば、人生途上での出会いも、過去・現在・未来をつなぐ時間の中に、
必然性が刻み込まれる。
つまり、何かの出来事、ある人、ある物と出会うのも、そうなる必然性があったからなのであって、
教えのうえからいえば、いんねん(過去の事柄と深いかかわりがあって現在の姿があること)の
なせるわざであろう。
一番、なるほど~と思ったことは・・・。
誤解をおそれずいえば、これからの人間は、
“いかにみごとに死ぬか”を真剣に考えるばきではないだろうか。