何かをするあなたではなく、あなたはあなた 肩書きが主人公ではない | サウンドレゾナンス『観て聴いて感じて扉を開けて』ありのままの私

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サウンドレゾナンスというツールで自分の声から自分を知っていく生活の中から共振共鳴したこと、ただただ思ったこと暮らしの中でみつけた小さな喜怒哀楽などを書き綴ります。福井県にてサウンドレゾナンスコンサルタントとして日々響きとともに在ります。



サウンドレゾナンスを学んだときに ティチャーであるコマラ・ローデに言われたこと

「あなたは、何かをする自分になろうとしている
じゃなく、人生の流れがもたらすものをただ受け取っていればいい」

何かをする人 例えば 

職業などはそかもしれないです
肩書きというか
肩書きが社会的に認められればられるほど、アイデンティファイしてその肩書きの人で生きようとする。安心だからなんでしょうねぇ・・・・・



クラゲって、何かを求めているのでしょうか?

ただただふわふわと水の流れに身を任せて
水に溶け込んで・・・・

「向こうから来る物を素直に受け取って歩ことが人生」

それって何?って4年ほど前コマラから言われて ん?って思いました

宇宙は愛で出来ている
その愛から人間は産まれてくるんだ、もたらされているんだ

とも彼女は言っていました

難しいですね、ただありのままの自分を受容し
その生き方ではなく存在そのもので良いんだ
そして、自分が何かになろうとしなくとも
もうそこにはいるんだ

そんな投げかけでした

あなたは何になろうとしているの?と・・・・・・

アイデンティティを持たずに生きると何か杖が欲しいと杖を探して歩くのかも知れません
でも、その杖は気が付くと自分自身の全人生を委ねtらポキッと折れそうな杖
あ~この杖に任せて歩なんて出来ない
そんな繰り返しをしてきたように思えます
そしてまた、支える杖を探す
その杖で支え切れればいいのですが

なんだか違和感があるな・・・・

と感じるとその杖を手から離す


自分の居場所をつくりたいがために
自分の安心安全な場所をつくりたいがために
頑張って、クタクタになったとき
何故こんなにも探して廻るのか?

その探求の所に いくつかの次元での絡みがあることに気が付きました



それは信じ込み (信念)に関わります

サトルボディヒーリングで信念のことを学んできたのですが、
その信念は自分自身を守ってきたその時はその考えで良かったけれど
大人になったり自分自身がもうその信念より成長した場合
信念が首を絞めて、そっちに行かないようにしていきます

私の場合

女は従順にしなければならない
女は結婚してそこで幸せにならなければならない
女は働いてはならない
女は
女は

と女に関わる信じ込み 親からの刷り込みも山盛りてんこ盛りあります

そこには個人的に

私は頑張ったって日の目をみない
私は至らない
私はいらない存在だ

などというのもあります

生活密着にすると

私は将来お金に困る
私は自分で生計をたてることができない
私は家庭を維持することができない

など、ほとほと どこまでですか?というのがあります
(これは父親が亡くなった歳とか色々なその背景から来ていることが、ファミリーコンステレーション家族の座に出て解りました。そして現実実家の母などがお金に困っているのを見聞きして、所詮女は尽くしたってあれだ・・・などというのもあります。お金に貧窮すると惨めだ=自分で働く能力がない(と思い込んでいる)私は夫を亡くしたら実家の母と同じ苦しみを死ぬまで味わわなければならない(これはDNA的負のループですね)19歳~30歳当たりまで、そんな生きる事=生きる糧に関しての恐怖やどうしよう・・・という、意味不明な不安感や恐怖感がありました。夫が死んでも、自分で食べていけるようにならなきゃいけない・・・・と本気で思っていました。)



ドロシーの探したエルドラド 
虹の袂にあるといいますが、
虹の袂など何もなく
信じて歩んでいく過程で
勇気や愛などを知らず知らずにゲットしていく
虹の袂は内側にあるということでしょうか・・・・




何故 産まれてきたのか?

何故 存在しているのか?

私は誰?

というのが 私を突き動かす原動力でした

過去生もきっと 私は誰? というテーマで生きてきたのかもしれません
何故 ここに産まれてきたの? と

探求するためのツールが今まで学んできたものであり
私ではない

今ははっきりそうわかります

そして、存在は ちいぽけなツールで計ることのできない
大きな大きなものなんだとも解ります

どんだけ探求したとしても、解らないんだろうなとも・・・・・
探求して得たスキルは スキルとして

ただただ

大いなる流れを受け止めて生きましょうと思うのです
杖を探していくのではなく、自分自身の空にしっかりとけ込んで生きていこうとも思うのです