思い出 | サウンドレゾナンス『観て聴いて感じて扉を開けて』ありのままの私

サウンドレゾナンス『観て聴いて感じて扉を開けて』ありのままの私

サウンドレゾナンスというツールで自分の声から自分を知っていく生活の中から共振共鳴したこと、ただただ思ったこと暮らしの中でみつけた小さな喜怒哀楽などを書き綴ります。福井県にてサウンドレゾナンスコンサルタントとして日々響きとともに在ります。




父の命日が終わって 日が開けた

私に何が足りないんだろう・・・・・と、思っていた頃
家族としての絆や、家族での思い出が足りないんだって気が付いた

私の印象ではバラバラな家族だったようn思う

小さい私は何が欲しかったんだろう



共鳴しあえる話し合いの在る家族だと思う
一人一人を尊重した



家を15歳で出たので、父との関わりはあまりなかった
私の記憶なのだが
ハタから観ていた人は私は父に可愛がられていたと言う
まあ、男、男、女 の女だから、そう世間は思う事もあるのだろう

正直、生きているだけでクタクタな毎日だった



人間生きるのは本当に難しいと小さい頃から思っていた
関わることが難しい
人間として生きるのが苦しいと



あったかい ふわふわな守られた環境が欲しかったんだろう

思いが伝わるそんな関わりをしたかったんだろう

あったかい 守られた 空間
ほっとできる空間がほしかったんだろう

父の事を思うと、父と交わした言葉の数はきっと数えるほどしかないだろうと思う

父が体調を崩して入院したときも、母は私には教えなかった。
親戚の叔母からの電話で知った。

父と話しをしたのは私が体調を崩して入院したその病院の公衆電話からかけた電話が痛みで苦しむ父の言葉ではない最後の言葉となった。

「お前が心配ばかりさせるから、おかゆしかたべられなくなった。」

それだけだった。

叔母に言われて驚いて東京から実家に帰った。
母はどうしたかったんだろう?私には内緒で事を進めるつもりだったのだろうか?

ことごとく後回しにされた。

今父の事を思うと、生きているうちに・・・という後悔の思いしかあがってこない
変な書き方だけれど、生きているうちに必要な事を出来なかったと後悔する

12月27日 父の命日 いくつになっても 記憶は消せない
父との良い思い出を探しては毎年 ため息をつく
あまりにも なさすぎて・・・・・