福井県勝山市内の学校再編成 | サウンドレゾナンス『観て聴いて感じて扉を開けて』ありのままの私

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サウンドレゾナンスというツールで自分の声から自分を知っていく生活の中から共振共鳴したこと、ただただ思ったこと暮らしの中でみつけた小さな喜怒哀楽などを書き綴ります。福井県にてサウンドレゾナンスコンサルタントとして日々響きとともに在ります。


観て聴い感じて扉を開けてサウンドレゾナンス的生き方

勝山市内の学校再編成のことで昨日、TVのインタビューだとかで、車に乗り込む寸前にFBCのクルーにつかまりました。


今ある9の小学校を3つへ。
3つの中学校を1つへ。


というのをどう思われますか?との質問でした


私が記憶するのは高校をどのようにするか?で地元の方々が色々な思いをおっしゃっていたことを覚えています。


いきなりの質問と正直私自身が公立の色々な事で幻滅をした親で、日本の中の学校を次男の手をひき、長男の機嫌の悪い状態をなだめすかしながら探し歩いたという経験があります。


公立の場合、子どもや親が学校を選ぶということができない。地域地域でこの学校に行くと決まっている。その流れは子ども達をどのように育てていくか?という逆に提案などないように思えるのです。良い慣習悪い慣習全てそのままひっくるめてそこで就学する者の言葉ではなく、決まりだからという古い物から新しい物への移行もとても嫌がる。などを感じました。


勝山という地区は面白いな~と思うのが、保育園のクラスそのものがその校区の小学校に持ち上がっていくので、小学3年生で岡山から転校した息子が最近言ったのは「もう、子どもの社会ができていて、それは保育園からの絆みたいなものがあって、僕など途中で入ってきた物はその絆に入ることができなかったし、入れてもらえなかった。」という事を話し出しました。


そのくらい地域密着なんですよね。


次男を違う校区の保育園にお願いしたときに「大丈夫ですか?」と私は聞かれましたが、何が大丈夫なのか?もわかりませんでした。


長男は中部中に上がりましたが、中部中学は小学校が3校ほどの子ども達が集まってクラスも大きくなりました。

地域の繋がりが三つあってその三つの繋がりを一つにするという事が中学で起こるのですが、これがまた、長男は虐めにあいましたので、その虐めたるやすさまじい状態になりました。が、先生は気が付かなかった、知らない、○○君の思い違いだと息子の話しを受容すること一つなく、話が進んでいったので、唖然としました。なんだ?こりゃ?でした。公立の先生の質の向上も必要でしょうし、教育委員会の考え方をもっと幅広く保身ではなく子どもを守る考え方をもつ教育者が居ても良い物なのに、何故この市には保身保身でどなたもいないんだ?ととても怒りを感じたものです。虐められて「お前なんか死んでしまえ、生きている価値がない」と一学年全部から虐めを受けて居る状態を知らない?という学校に私はこれでは息子の命を守ることができないと、息子が「学校に行くのは辞めたい」と言った時に「わかった、いかんでいいわ」とまずは息子を守ることが第一とそのようにしました。中2の秋から学校に行くことは辞めました。この時に感じたこと、先生や教育委員会の体質、地域性 色々な事を学びました。経験しました。こんなもん経験なんかしたくもなかった!と言うことですが(笑い)


そんなこんなで、自分の子どもの人権も守ることが出来ない環境に私は見切りをつけて学校探しをしたのです。


このとき高血圧になってぶっ倒れました・・・そのくらいきつかった・・・(思い出してもきついですわ)


なのでいきなりのTVのインタビュー私にとって、公立の在り方というのはずっとずっと疑問に思うことが山ほど在りますし、正直ここも腐ってる・・・と感じたことがあったので、中々思うことっていったって・・・と頭をかしげてしまいました。


息子は公立ではないところで就学していますし・・・・・


私がインタビューで思い出したのは長男の虐めの事

統廃合というのは良いか悪いかは解らないけれど、マンモス校になるということは先生の目が通らない。大きなクラスにT T として二人三人先生を入れたとしても、先生同士の関係性がおかしい、私は正直先生の質や先生が働く生きがいがある現場をつくらないと、ながいものにまかれろ の精神で子ども達にとっての先生ではなく、先生個人にとっての私利私欲先生になってしまっていると感じていたのと先生という世界の改善がない限り、どんな形にしても、公立にきたいすることはできないな~とずっと思っていたので、どんな形になったとしても、形をつくったとしても人を忘れた企画ではどうにもならんだろう?と思っているのです。まずは子どもありきなんじゃないか?と。親でも先生でも行政でもなく、まずは子どもありきなんじゃないの?って。統廃合するにしても一クラスの人数を少なくして、先生の目の届く小さなクラスをいっぱいつくったらどうか?しか思い当たらなかったです。

水面下で何が起きているか?をキャッチできる状態を創ること。

先生の事務仕事などが増えたらその分子どもに対する目が届かなくなること。

本当に先生になりたい!本当に子どもが好き!本当に教職に夢がある!という人材に会ってみたいものです。井の中の蛙ではなく、色々広い視野を持ち、色んな社会を経験し、外の世界もしっている、そして統廃合に関して受け身ではなく自分たちから発信していくことのできる先生の発掘や先生の養成などがまず必要なんじゃないの?って感じたのです。

社会が複雑になっている昨今、子どもの世界はもっともっと繊細なだけ複雑だと思うのです。



いきなりのインタビューでこんなとこまで考える事できませんでしたが・・・・・


賛成とか反対ではなく、これだけ少子化が進んでいたら、器というものを考える前に生み育てやすい環境を深く考えていかなければ、この市は衰退していくだけだと感じています。

社会丸々意識改革、地域意識の改革、そして大事に守る文化、もうそれではこの社会出遅れている部分、山奥の地域だからこその根付いている文化をもっともっとブラッシュアップしていく事で魅力のある地域に育てていけば、いいんじゃないかな~?などと思ったりもしています。


生きるってなんだ?ということを、働き生きている大人達がもっともっと子ども達を巻き込んで教えていく知恵の在る地域に育っていく事が大事なんじゃないのか?と感じるのです。


なーんか偉そうに書いちゃいましたが、

あまりにも息子の虐めがすさまじくて、公立学校に三行半をつけた私なので、公立校に関して考えることもしてきませんでしたが、もう一度、地域の学校の在り方を考える良い機会になりました。


学校ってあまい社会じゃないって私個人は思っています


子ども達だけではなく、今ここに生きている大人達も自分たちの考え方や生き方を見つめ直す時期に来ているのでしょうと、感じています。子どもは大人じゃないんだから、大人になった人達が先人としてどのような姿を見せていくか?が大事なんじゃないかな~とも思っています


学校に関しては色々思うことが有りすぎて、私自身には難しいです


シンプルに言えば、子どもを信頼する 学校を信頼する そして見守る育児のできる環境をつくっていく努力が必要なのではないか?と感じているのです